壺齋散人の 映画探検
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鞍馬天狗 角兵衛獅子:ひばりとアラカン



「鞍馬天狗」シリーズは、アラカンこと嵐寛寿郎の当たり役で、サイレント時代の1928年から三十年にわたり四十もの作品に出ている。戦中から戦後にかけての一時期には作られていないが、昭和26年に時代劇が解禁されるやいち早く復活、当時人気者だった美空ひばりを杉作役にして、三作が作られた。「鞍馬天狗 角兵衛獅子」はその第一作である。

これは角兵衛獅子の少年と鞍馬天狗との愛情をテーマにしたもので、それに佐幕派と討幕派の抗争をからめ、近藤勇をはじめ新選組の連中と鞍馬天狗の戦いなどを盛り込んだ痛快時代劇である。映画の中では鞍馬天狗は討幕派と言うことになっているので、当然近藤や土方ら新選組の連中には厳しい見方をしている一方、討幕派の連中は英雄扱いである。

この映画の直前に、ひばり主演で「とんぼがえり道中」が作られ、その主題歌の「越後獅子の歌」が大ヒットしていた。そこでこの映画は、その越後獅子を大いに意識したかといえば、表面上はほとんど影響関係は認められない。越後獅子がテーマであるにかかわらず「越後獅子の歌」は歌われない。そのかわりに新たに「角兵衛獅子の歌」というのが作られて、獅子回し役のひばりがその歌を歌う。

この時ひばりは十四歳になっていて、そろそろ女らしさが現れているのだが、映画では徹底的に男の子にこだわっている。その点、男女の間を自由に飛び越えていた「悲しき口笛」や「東京キッド」とは違う。もっともひばりは、鞍馬天狗と山田五十鈴演じる女冠者が仲良くなると嫉妬したりもするのだが。

筋書きには大した工夫はない。討幕方を鞍馬天狗と西郷隆盛が代表し、佐幕方を新選組が代表する。そして双方からそれぞれ天狗と近藤勇が出てきて果し合いをするというものだ。この場合、近藤は歴史上の人物なのに対して、鞍馬天狗のほうは創造された人物である。だからいくら天狗でも近藤を切り捨てるなどという無茶な演出はできない。そこで勝ち負けを曖昧にしたまま、鞍馬天狗が馬を疾走させるシーンで終わらせている。

その近藤を月形龍之介が演じている。月形が演じると、近藤はニヒルな一匹狼のような雰囲気になる。実際の近藤は人を組織するのがうまい、社交的な人物だったはずだ。また、近藤の剣術はいわゆる喧嘩剣法で、切りあいにはめっぽう強かったと言われる。そんな近藤と鞍馬天狗が一対一で剣を交わしあうというのが、時代劇としてのこの映画のクライマックスになっている。しかし先ほど触れたような事情で、彼らの対決はあいまいに描かれている。

前の二作に比べるとひばりの存在感がやや薄く感じられるのは、年齢のせいかもしれない。思春期にさしかかったひばりには、中性的なものはもはや消えているし、かといって女性として成熟してもいない。そんなわけで、中途半端な印象を与える。もっとも映画の中ではひばりは、あくまでも男の子の役に徹しているのであるが。

悲しき口笛:美空ひばりの映画
東京キッド:斎藤虎次郎の美空ひばりもの
鞍馬天狗 角兵衛獅子:ひばりとアラカン





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