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宮崎駿「ハウルの動く城」:魔法使いたちの争い



「ハウルの動く城」は、普通の人間の少女が魔法の世界に紛れ込んで、魔法使いたちの争いに巻き込まれるさまを描いている。人間の少女が異界に紛れ込み、そこで冒険をするというテーマは、前作の「千と千尋の神隠し」と似ている。「千」のほうは、両親と一緒に神隠しにあって異界に紛れ込むわけだが、その点では日本の伝説の世界を踏まえているわけだが、こちらは主人公の少女ソフィーが、ふとしたことから一人の青年と出会い、それがきっかけとなって、異界へとワープする。このワープという現象は、現実世界から異界への移動についての、これは西洋的な伝説の装置といってよい。

面白いのは、少女がそのままの姿で異界へワープするのではなく、90歳の老婆の姿となってワープすることだ。少女は、荒れ地の魔女によってそんな姿に変えられてしまうのだが、その荒れ地の魔女というのは、少女が出会った青年ハウルとともに、魔法の王国を主宰する魔女サリマンの弟子なのであった。このサリマンが、隣の王国と戦争状態になっている。その戦争に、荒れ地の魔女もハウルもともに参戦することを求められているのだ。そこから、異界での出来事は、戦争を中心にして展開していくことになる。そこは、千と千尋とは異なる。千と千尋の場合には、もののけたちは互いに戦争しあったりはしない。

題名にある「ハウルの動く城」というのは、ハウルが住んでいる城のことである。その城には、老女の姿となったソフィーを、荒野で出会ったかかしが連れて行ってくれる。その城の中には、炎の化け物カルシファーが住んでいて、彼がエネルギー源となって城を動かしている。その城は、おもちゃの化け物のような形をしていて、自由に動き回ることができる。

ソフィーは、次第にハウルへの愛を覚えるようになる。そしてハウルの秘密を知る。小さいころに自分の心臓をカルシファーに与えてしまったこと、カルシファーはその際に魔法をかけられ炎に変えられてしまったこと、もしもその炎が消えるとしたら、同時にハウルも死ぬ運命にあることなどである。

そうこうしているうちに、魔法の王国同士の戦争が激しくなり、ハウルもそれに巻き込まれる。ハウルを追跡する敵は、ハウルの動く城に対して攻撃を加え、そのとばっちりが現実の人間の世界にまで及ぶ。ハウルは、巨大な鳥の姿になって敵を迎え撃つが、最期には敵によって大きな打撃をこうむる。

そこをソフィーが必死になってハウルを守ろうとする。その過程で、あやまってカルシファーの炎を消してしまい、そのことでハウルの城が崩壊するアクシデントが起きる。ソフィーはハウルの死を恐れる。そして、異界のまた異界へとワープしていったさいに、幼いころのハウルの姿を目にする。幼いハウルは、炎を飲み込んで自分の心臓を取り出していたのだった。

結局ハウルは生き返り、ソフィーは若さを取り戻す。最後には、二人の愛を見届けた魔法の王国の女王が、戦争のむなしさを感じて停戦を決意する。

というわけでこの映画は、西洋的な異界とそこでの戦争、戦争のなかで身を結んだ男女の愛を描いている。最も大きな見どころは、九十歳の老婆になったソフィーの描き方だ。この老婆が、若い青年に恋をするというのが現実離れしているが、観客としては、彼女の正体を知っているので、それも不自然にはうつらない。実際彼女は最後には、若い女性の姿となって青年と結ばれるのだ。この、最期に男女が結ばれあうというのも、西洋の伝説の基本的なパターンである。「千」の場合には、男女の結合ではなく、家族の再結合という形をとっている。



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