壺齋散人の 映画探検
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壁の中の秘事:若松孝二のピンク映画



日本でポルノ映画という言葉が使われるのは1970年代以降のことで、それ以前には成人映画とかピンク映画とか言われていた。その時代の性道徳はいまよりずっと偽善的なものだったので、性描写も慎ましいものだった。だからポルノを期待して見ると、がっかりさせられるものが多い。その中で若松孝二が1965年に作った「壁の中の秘事」は、ピンク映画の傑作と称すべき作品だ。決して猥褻ではない。若松自身がこれをピンク映画と考えていたかは疑問で、性描写を伴う芸術作品くらいに考えていたフシがある。この映画はベルリン映画祭にも出品されているのである。

壁の中というのは、団地のコンクリートに囲まれた空間という意味だ。その狭い空間の中で、男女がセックスにふけるさまをこの映画は専ら描く。男女がセックスにふけるわけは、とりわけ女にとっては、鬱屈した気持ちを発散させる方法が他にないからである。彼らはセックスで鬱憤を晴らそうとするのだが、鬱憤というものはセックスによって発散できるものではないらしく、セックスする男女たちはいつまでたっても欲求不満のままである。

これが現代に生きる日本人の真の姿だ、ということを若松はこの映画を通じて訴えたかったようである。とすればこの映画は、単に人間の性的好奇心に訴えるだけではなく、人間の生き方をめぐるもっと根源的な感情に訴えているようでもある。それと並んでこの映画には、政治的なメッセージも含まれている。団地の中で不倫のセックスにふける男女は、原爆症に悩んでいたり、ベトナム戦争に反対して平和の尊さを訴えていたり、労働運動の意義について論争したりもする。面白いことに、彼らがセックスにふけっている部屋の壁には、何故かスターリンの巨大なポスターが貼られているのである。

日本でいわゆる団地が急速に普及するのは1960年代になってからだ。この映画はそうした時代の様相を色濃く反映しているといってよい。人々は共同体から離れて団地の中にそれぞれ孤立し、人間同士の触れあいを失っていた。団地の中での生活は、檻に閉じ込められた動物の孤独を思わせるものだったのだ。そんな団地の中で人間的な触れあいを求めようとすれば、セックスにまさるものはない。しかし、夫婦間の婚内セックスは多くの場合破綻している。亭主族は仕事に勢力を吸い取られて、女房を相手にセックスをする元気がない。そこで欲求不満になった女房族は、亭主の留守の間に別の男を部屋に連れ込んで、せっせとセックスの快楽にふけるわけだ。この映画は主として女の側に立って、男女の婚外セックスのあり方を描いている。

団地の妻が間夫をして快楽にふけっている一方、それを望遠鏡で覗いている者がある。当時はプライバシーについての意識が格段に低かったようで、団地の女房族は他人に見られていることを意識しないで、セックスの現場を人目にさらしていたのだ。

結局この女房は、のぞき見をしていた浪人生によって殺されてしまう。その浪人生は、直前に自分の姉を強姦していたのだった。そんな異常な行動ができるのは、檻のような壁の中で暮らしているうちに、頭がおかしくなったからだというふうに伝わってくる。

セックスを描いている割には、激しさは感じられない。と言うか性的に興奮させられることはない。面白いのは、女がオルガスムに達すると足の指が開くことだ。その指の大きく開いた足を繰り返しアップすることで、女がオルガスムの恍惚に達していることを映画は訴えている。こういう場面を見せられると、筆者などは思わず微笑んでしまう。人間というものは性的興奮に達すると両足の指がかくも開くものなのか、と。

団地妻を演じた女優に、いまひとつ色気がないのが気にかかる。まあそれが普通の状態かも知れないが、その色気のない顔で男を抱いているのを見ると、セックスの営みがある種の排泄行為のように見えてきて、ちょっと興ざめなところがある。自分自身の夫婦間のセックスを思い出すからかも知れない。




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