壺齋散人の 映画探検
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恋人たちは濡れた:神代辰巳のロマンポルノ



「恋人たちは濡れた」というタイトルからは、男女が性交のエクスタシーの中で濡れに濡れそぼつというイメージが思い浮かんでくるが、このタイトルにはそれ以外のメッセージも込められているようだ。この映画に出て来るカップルは、最後には嫉妬した第三の男によって襲撃され、海に向かって自転車で疾走した挙句に、水につかってしまうのだが、その水に濡れる不幸な恋人たちというようなイメージも含んでいるのである。

このように、単に濡れ場を見せるだけではなく、文芸的な雰囲気をも味あわせてくれるところにロマンポルノのロマンポルノらしき面があった。そもそもロマンポルノというのは、文芸風のポルノという意味なのである。神代辰巳は、そのロマンポルノ、それは日活ロマンポルノで代表されるわけだが、その日活ロマンポルノの旗手として、数々の名作を作った。「恋人たちは濡れた」は、「四畳半襖の裏張り」と並んで、神代の代表作である。

ロマンの舞台は千葉県の漁村勝浦である。この裏さびれた漁村がなぜロマンポルノの舞台として選ばれたか。そこはポルノの文芸性を重んじる神代のこと、勝浦には勝浦にしかないエロティシズムがあると判断したのだろう。この映画は、その裏さびれた漁村を舞台にして、一人の風来坊が土地の女と次々と重ねる性交の悦楽を描いている。

次々といっても、この映画の中の主人公の男が性交する女は三人である。一人目は彼がアルバイトをしているポルノ映画館の女将であって、その女将のリクエストに応じてセックスの相手をするのである。この女将は中年の女盛りで、人一倍の性欲を抱えているのだが、亭主が若い女にうつつを抜かして相手にしてくれないものだから、この若い男を相手にして、性欲を発散させようというわけである。この女将は、性交の快楽に燃えて来ると大きなよがり声を立てる傾向があり、若者は他人に声を聴かれないよう、女将の口を自分の口でふさがねばならない。

二人目は、海辺の雑草の中でセックスをしていた男女のうちの、女の片割れであって、彼女も又性交の最中によがり声をたてる傾向があった。その女がどういうわけか、若者に惚れてしまう。その若者にセックスの現場をのぞかれたことで、変態的な好奇心が芽生えたからだ。しかし、この女に深入りしたことで、主人公の若者は命取りの事態に陥る。

三人目は、先の男女に紹介された女で、紹介した男によれば、この女は誰にでもやらせるそうなのだ。そう言われた若者は勇んで女に挑むのだが、女は意に反して同調しない。そこで若者は無理やり女を我が物にしようとする。つまり強姦しようとするわけだ。それを知った紹介者は呆れかえる。

というわけで、若者が三人の女たちと次々とセックスを繰り返す様子が、勝浦の漁村を舞台に繰り広げられるというわけである。ちなみにこの若者は風来坊で、各地を渡り歩いてきたということになっているが、その土地というのが、千葉県の東金であったり、同じく船橋であったり、茨城県の水戸であったりして、関東地方の一角に集中している。おそらく神代はこの地域に土地勘があって、土地とポルノとの相性にも通じているのであろう。

それにしては、相役の女たちに色気が感じられない。とくに三番目の女は子豚のように丸々していて、胴部と臀部との境が曖昧なほどだ。その肥った子豚のような女を相手に、痩せた男が抱き着くシーンは、エロチックと言うより、エキセントリックというべきべきである。これはロマンポルノのロマン性を重んじた神代のこだわりなのだろう。




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