壺齋散人の 映画探検
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イングマール・ベルイマン「夏の夜は三たび微笑む」:恋愛ゲーム



この映画を一言で定義づければあきれた恋愛ゲームということになろうか。ゲームだからプレーヤーがいて、アンパイヤもいる。この映画の場合、アンパイヤは一人の中年女であり、プレーヤーは彼女をめぐって恋敵の関係にある二人の男だ。この二人の男を、アンパイヤの女が、男たちの妻や家族ともども、自分の母親の屋敷に招待し、そこで恋愛ゲームを繰り広げるというのが、この映画のあらすじだ。あらすじと言っても、物語としてのあらすじではない。この映画には物語はない。あるのは、ゲームに特有の、人間同士の駆け引きなのである。

男のうちのひとりは、弁護士である。この男には、十代の妻がいるが、男はその妻とまだセックスをしたことがない。それを説明するのに、男は自分の妻は処女だと言う。処女の妻はだから、始終欲求不満に悩んでいるのである。男が妻とセックスできないわけは、どうやら昔の女(それがアンパイヤの女だ)が忘れられないかららしい。その女との関係は、女のほうが男を棄てるという形で終わったようである。男はその女のことが忘れられなくて、なんとかよりを戻したいと思っている。女のほうでも、そんな男とよりを戻すのも悪くはないと思っている。

女には目下別の男がいる。これは軍人で貴族ということになっている。これが実に傲慢な男で、そこが女の癪にさわる。この別の男と、弁護士の男とが、女のアパートで鉢合わせをする。そこからこの映画のテーマである恋愛ゲームが始まるわけである。

ゲームは女の思惑に従って展開される。その思惑とは、男女の間柄をめちゃくちゃに混ぜ合わせることで、男たちの嫉妬心を煽りたて、彼らを反目させることらしい。らしい、というのは、この映画には、明確な意図とかわかりやすい出来事の展開とかがないからだ。あるのは人間同士が織り成す混沌ばかりなのである。

そんなわけで、広大な屋敷に集まった人間たちが繰り広げる複雑怪奇なゲームが、この映画の見所なのである。そのゲームを見ていると、社交サロンで展開される愛のさやあてのような感じを受ける。このさやあてゲームは、女が主導権をとって展開されるものだから、実に繊細なイメージに映る。こういう繊細さは、院政時代の日本の高級サロンたる宮廷の人間関係を思い出させる。

ゲームの開始を宣言するかのように、屋敷の主たる老女が乾杯の音頭をとる。このワインには初産の女の乳の一滴と牡馬の精液が注ぎ込まれている。だからこのワインを飲むものは、湧き上がる恋心に気をつけなさいというのだ。どんな不始末が待っているかもしれないから。

不始末というわけではないが、二人の男は決闘するハメになる。弁護士が軍人の妻を誘惑したというふうに女が見せかけたからだ。傲慢な軍人は、自分の妻が寝取られたと思い込み、弁護士に決闘を申し込んだのである。一方弁護士は、処女の妻を自分の息子に寝取られる。その息子は、下女に誘惑されていたのだが、あまりに煮え切らないので、下女は息子に愛想をつかし、屋敷の下男にモーションをかける。この下女はいつも発情していて、男がそばにいないと生きていけないのだ。そんな彼女らに夏の夜が微笑みかけたおかげで、下女と下男が結ばれるというわけなのである。

原題の Sommarnattens leende は、「夏の夜の微笑み」という意味である。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」を意識したものと思われる。なお、この映画で多情な下女を演じたハリエット・アンデルソンは、不良少女モニカを演じた女優である。



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