壺齋散人の 映画探検 |
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アキ・カウリスマキの1988年の映画「真夜中の虹」は、フィンランドの下層社会に生きる人間を描く。北部の炭鉱が閉山になったおかげで失業した男が南部をめざす。南部とはヘルシンキのことだろう。そこへ向かう途中色々な目に合う。それを淡々と追うというのがこの映画の特徴だ。自殺した父親のキャデラックで南部を目指すので、一応ロードムーヴィーの体裁になっている。しかし旅そのものが強調されているわけではない。 最大の出来事は、二人組の男に襲われ、なけなしの金を奪われることだ。フィンランドというのは、じつに治安の悪い国だと思わせられる。だいいち、鉱山をクビになったくらいで、父親が自殺に追い込まれるというのも、日本人の小生などにはわかりにくい。フィンランドは、もはや決して高福祉国家ではないようだが、それにしても失業することで自殺に追い込まれるほど、セーフネットの脆弱な国なのか。 二つ目の出来事は、ある街で交通巡査をやっている女性と知り合うこと。その女性は、交通巡査のほか、肉の解体作業とか、ほかの仕事もかけ持っている。ローンを払うためだという。亭主と別れ、一人息子と暮らしているが、男日照りで欲求不満のせいもあり、主人公をあっさり自宅に招き入れる。無論セックスするためである。 ヘルシンキの町を徘徊していると、自分を襲った男を見かける。主人公はその男ともみ合ううち、警察に逮捕されて刑務所送りとなる。金をとったほうは、これといったアナウンスもないので、罪を問われることはなかったようだ。男は懲役二年の判決をうける。監房のなかで相棒としたしくなり、一緒に脱獄することを計画する。脱獄したら、交通巡査の女性と結婚するつもりなのだ。 脱獄は成功して、男は女と教会で結婚式をあげる。その後は、海外へ脱出するつもりだ。そのためには金が要る。男は相棒とともに銀行強盗をやり、いささかの金を作る。また、パスポートも用意する。それに関連して、パスポートの売人を二人殺したりする。だんだんと罪の罠にはまっていくのだ。 結局男は、女とその子を連れて、メキシコ行きの船に乗ることになる。映画はその船を目指すボートの中の三人をうつすところで終わる。かれらがその後どうなったかはわからない。 こんな具合に、社会に適応できないために次第に深みにはまっていく男と、それに関わり合いのある人々が描かれている。描き方はいたって淡々としたものだ。事実だけを提示するから、その意味合いは観客自ら考えてほしいといったところか。 |
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