壺齋散人の 映画探検
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ラース・フォン・トリアーの映画 代表作の解説


ラース・フォン・トリアーはデンマークを代表する映画作家。とはいえ、彼の作品からはデンマークらしさは感じられない。彼の作品は無国籍映画といってよい。映画の舞台はアメリカやほかのヨーロッパ諸国に設定しているし、言語は英語である。デンマークのようなマイナーな国は、自国の市場規模は微々たるものなので、デンマーク語にこだわっていてはヒットを期待できない。そこで最初から英語を使って作った方が効率がよいということもあろう。彼の映画はすべて英語圏を対象に作られている。

映画には彼の強烈な個性が感じられる。それを一言でいえば道徳への嘲笑的な視線ということになろう。彼の映画はどれも反道徳的なのである。デンマークといえば、キルケゴールやアンデルセンを生んだ国柄である。二人とも道徳的な生き方をしたし、少なくとも道徳を嘲笑するようなことはしなかった。ところがフォン・トリアーは徹底的に道徳を嘲笑するのである。それはデンマークの国民性とはあまり関係がないと思う。彼個人の特異なキャラクターだろう。

映画監督デビュー作の「エレメント・オブ・クライム」(1884)は頭脳派連続殺人犯を描いたもので、既に彼の反道徳的な傾向を指摘できる。これを含めたヨーロッパ三部作で実力を磨き、「奇蹟の海」(1996)でカンヌのグランプリをとって一躍世界的な注目を浴びた。この映画は、知恵遅れの女性をならずものの男が性的に搾取するという内容であり、そこに批判的な視点は感じさせない。これも人間関係の一つのあり方だといった突き放した見方を感じさせる。

続く「イディオッツ」(1998)も知恵遅れを描いたもので、一方では知恵遅れの人間へのあざけりを感じさせ、他方ではその知恵遅れの者たちの放縦な性行動をあけっぴろげに描いた。この映画におけるセックスの描写は、ある程度の影響を及ぼし、各国でハードコアポルノの流行をもたらした。なお、この映画には、トリアー独自の映画理論「ドグマ95」なるものが適用されている。これは携帯カメラを使って、その場その場の出来事をなるべくストレートに描くというもので、フランスのヌーヴェルヴァーグの映画理論をフォン・トリアーなりに解釈したものだ。「ドグマ95」は他の作品に適用されることはなかった。

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」はアメリカに移民したチェコ人の話として、そのチェコ人女性を無慈悲に迫害するアメリカ社会の闇のようなものを描いたものだ。だからといって、社会批判的な視点を感じさせるわけではない。この女性はあっさりと吊るされてしまうのである。

「ドッグヴィル」(2003)と「マンダレイ」(2005)はアメリカを舞台にした実験的な作品。どちらも、架空の人工的な空間を舞台にし、章立てで構成されている。前者のモチーフはアメリカの地方コミュニティの排外性、後者のモチーフは奴隷制である。奴隷制は公式にはなくなったはずだが、かつて奴隷であったものには、その境遇に執着する者もいる。そういう人間にとっては、奴隷制からの「解放」は生きることの不安をもたらすのだ。奴隷制は必ずしも悪ではないというメッセージをこの映画は発している。それがトリアー自身の本音なのかどうかははっきりしない。おそらく本音なのだろう。

「アンチクライスト」(2009)は頭のいかれた女を描いた作品。頭のいかれた女とは差別的な表現ではない。この映画の中の女は、特定の精神疾患に分類できないほど奇怪な行動をする。要するに精神医学でも説明できない異常さなので、頭がいかれているとしか言えないのである。そういう人間の捉え方には、トリアー固有の精神障碍者への侮蔑感情が働いているのだといえる。

「メランコリア」(2011)は、巨大彗星が地球に衝突するという妄想に囚われた人間たちを描く。しかもその妄想は実現し、彗星に衝突された地球は爆発するだろうという予感を観客に与える。観客を巻き込んだ集団ノイローゼといった趣を演出する奇妙な映画である。

「ニンフォマニアック」(2013)は前後二巻計4時間(ディレクターズカット版は5時間超)の大作である。テーマは色情狂。色情狂として淫欲にまみれた女の生涯を描く。露骨な性描写にあふれたハードコアポルノである。

「ハウス・ジャック・ビルト」(2018)は、連続殺人鬼をテーマにした作品。衝動からある女をジャッキで殴って殺した男が、殺人行為に快感を覚え、次々と人間を殺していく。その数は60人をゆうに超える。しかもその男は罰せられることがない。ただしダンテがウェリギリウスに案内されて地獄めぐりをしたように、この男もヴァージという男に案内されて地獄をへめぐり、果ては地獄の劫火に焼かれるという落ちになっている。それは必ずしも彼の犯した殺人の報いとは言えない。かえって地獄の大王からの招待といってよい。

こんな具合にフォン・トリアーの映画には、暴力、色情、精神障碍への侮蔑、偏狭さに閉じこもったコミュニティなど、異常な状況が繰り返し取り上げられ、人間という生き物の、露骨に破壊的な側面ばかりが描かれる。だが人間が破壊的であることは、何も異様なこととは言えないし、むしろかえって人間の本性に沿っている、といったメッセージをトリアーは発しているといってよい。その点をとらえて小生は、トリアーの映画を反道徳的と呼んだのである。


ラース・フォン・トリアー「奇跡の海」 知恵遅れの女性の愛と信仰

ラース・フォン・トリアー「イディオッツ」 白痴たちのコミュニティ

ラース・フォン・トリアー「ダンサー・イン・ザ・ダーク」:アメリカのチェコ人移民

ラース・フォン・トリアー「ドッグヴィル」 よそ者をいじめるアメリカの田舎者

ラース・フォン・トリアー「マンダレイ」 自由とは何か

ラース・フォン・トリアー「アンチ・クライスト」 不幸な夫婦関係

ラース・フォン・トリアー「メランコリア」 地球の破滅

ラース・フォン・トリアー「ニンフォマニアック」VOL1 色情狂の女の生き方

ラース・フォン・トリアー「ニンフォマニアックVOLⅡ」 

ラース・フォン・トリアー「ハウス・ジャック・ビルト」 精神異常者の連続殺人




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