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イワン雷帝( Иван Грозный ):セルゲイ・エイゼンステイン



セルゲイ・エイゼンステイン( Сергей Эйзенштейн )の映画「イワン雷帝( Иван Грозный )」は、三部構成として構想された。うち第一部は、モスクワ大公イワンがロシア皇帝を名乗り、ロシアの統一に向けて邁進していくところを描き、1944年に公開された。第二部は、イワンが国内の貴族の反乱を次々と打ち破り、権力を確立する過程を描いたが、それがスターリンによる大粛清を揶揄していると受け取られて上映禁止になった。そんなわけで、三部作として構成されたうちの、第三部は作られることがなかった。ここでは、第一部を紹介する。

イワン雷帝ことロシアの初代ツァーリであるイワン四世は、16世紀半ばにロシアを統一して、強大な絶対主義国家に仕立て上げた歴史的な君主である。専制的な振る舞いから恐怖を意味するグロズヌイ( Грозный )という異称をつけられたが、日本語ではなぜかそれを「雷帝」と訳した。

イワン雷帝がロシア皇帝を名乗った当時、ロシアは大貴族が割拠する状態にあって、統一した国家とは言えなかった。また、東方ではタタール諸部族が、西方ではドイツが幅をきかせ、ロシアの力を削いでいた。したがってイワン雷帝の当面の課題は、国内の分裂を克服し、東西の異国勢力に備えることだった。

映画の第一部は、以上のような時代を背景にして、モスクワ大公イワンが皇帝を名乗り、ロシア統一への強い意志を示すところから始まる。

皇帝となったイワン(ニコライ・チェルカーソフ НиколайЧеркасов )は、まだ権力基盤が十分ではない。大貴族たちは、イワンの専制を牽制し、皇帝と貴族とが権力を分け合うことを望んでいる。そんな大貴族に囲まれて、イワンには信頼できる味方がいない。そこで、完全には信用できない貴族を使ったり、平民から抜擢したりして、周辺諸国との戦いに当らせたりするが、なかなか思うような成果が上がらない。

そんななかで、イワンの叔母であるエフロシニアは、折りあらばイワンを引きずりおろし、自分の息子のヴラヂーミルを皇帝にしようと企んでいる。そこへイワンが病気で倒れる。エフロシニアは好機到来とばかり、一気にイワンを引きずりおろそうとする。そのたくらみは成功しかかる。しかしイワンが奇跡的に病気から回復し、彼女の陰謀を打ち砕く。彼女はその腹いせに、イワンの愛する妻アナスターシャを毒殺してしまうのだ。

アナスターシャを殺されて悲嘆にくれたイワンは、一計を弄する。民衆を味方につけて、大貴族どもの権力をもぎ取ろうというのだ。そのために、イワンは地方の寒村に引退する振りをする、そうしたうえで、腹心に民衆を扇動させ、民衆がイワンのモスクワへの還御を願うというパフォーマンスを仕向けさせる。煽動は成功する。民衆はイワンをロシアの君主として、再びモスクワに迎えることを表明する。その民衆が押し寄せてくるところを前に、イワンが起死回生の誓いをするところで、第一部は終わる。

こんなわけで、第一部は、主にイワンと大貴族たちのさや当てを中心に描いている。イワンも大貴族たちも、お互いを疑心暗鬼で見ている。それが彼らの表情に露骨に現れる。白目を剥き出し、身をそらすような大袈裟な動きをする。それは、彼らの内心の動揺を様式的に表現したということらしいのだが、それに関しては、日本の歌舞伎の影響が指摘されている。エイゼンステインは、日本の歌舞伎役者市川左団次のロシア公演を高く評価し、歌舞伎の様式的な舞台展開に強い感銘を受けたと言うが、その歌舞伎の演出を、この映画の中でも取り入れたということらしいのである。

この映画は、同時代の欧米の映画は無論、日本の映画と比較しても、かなり特異な印象を与える。俳優の発声が自然ではないので、あたかもサイレント映画に無理やり音声をだぶらせたような感じを起こさせる。なにもここまでして様式的な演出にこだわらなくともよいように思えるところだが、そこはエイゼンステイン独特の考えがあるのだろう。

その様式的な演技が、テンポの速いモンタージュの展開に乗って、独特の迫力を生み出している。映画史上でも、珍しいタイプの作品といえるのではないか。





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