壺齋散人の 映画探検
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ヘンリー五世:ローレンス・オリヴィエ



1944年のイギリス映画「ヘンリー五世」は、シェイクスピア劇の最も完璧な映画化と言われた。その監督と主演をつとめたのは、20世紀最高のシェイクスピア役者と言われたローレンス・オリヴィエだ。オリヴィエはのちに、役者としては初めてサーの称号を受ける。それにあたっては、長年の役者としての活躍と共に、この映画を作ったことも大いに働いていた。というのもこの映画は、ナチスドイツなど枢軸国と戦っていた当時のイギリス人を奮い立たせるための、国威発揚の映画として作られたからだ。この映画で愛国心を吹き込まれたイギリスの国民は、敢然として戦場に赴いた。その功績がオリヴィエをして、役者でありながらサーの称号を獲得せしめた大きな要因となったわけだ。

シェイクスピアの史劇「ヘンリー五世」は、英国史の節目ごとに、国威発揚のために上演され、イギリス人を励まし続けてきた。最近では、イラク戦争への参戦にあたって、ヘンリー五世から抜粋したアンソロジーを兵士たちに配布して、彼らの愛国心を駆り立てたという。この戯曲が描いているのは、イギリスとフランスとの間の戦争だが、フランスを他の国に読み替えれば、どんな戦争にあたっても、イギリス人の勇敢さを称え、相手を粉砕せずにはおかぬという、熱狂的な気分を掻き立ててくれる、麻薬のような効果を持った作品なのである。

オリヴィエはこの作品を、原作になるべく忠実に映画化した。役者のセリフ回しはほぼ原作通りだし、舞台設定も、シェイクスピア時代の雰囲気をなるべく再現するようにした。並の映画とは違って、この映画は、基本的にはグローブ座の舞台を再現しているという体裁をとり、必要に応じて、舞台以外にはみ出すこともあるが、それは観客の想像力がそうさせるのであって、劇の進行はあくまでも舞台上でなされているという建前を取っている。

その建前を生かすために、オリヴィエはコーラスを最大限に活用した。原作では、コーラスと称する人物が狂言回しとして出てくるわけだが、映画ではこのコーラスの進行を通じて、観客の眼と心が、舞台の内外を自由に飛び回るというふうに設定している。それ故観客は、どこまでが舞台の上で、どこからが舞台の外で展開しているのか、あまり気を使わずに、自然な気持ちで見ていることができるのである。

まず、最初の部分でグローブ座の舞台が紹介され、大勢の観客を前にして、役者たちの演技が開始される。これはあくまでも、芝居なのですよ、ということを、舞台の観客だけではなく、それをスクリーンで見ている映画の観客にも強調しているわけだ。そのうち、舞台の上に雨が降ってくる。それもそのはず、この当時のグローブ座は、屋根の一部が青天井で、そこから光をとっていたのだが、天気によっては、光ではなく雨をとることもあったというわけなのだ。雨に濡れても観客は不満を言わない。コーラスが出てきて、観客に劇の楽しみ方を教授してくれるからだ。

原作のコーラスは、舞台の上で目にすることができない部分は、心の眼で見て欲しいと訴えていたが、映画の中のコーラスも、観客の想像力に訴える。だが単に訴えるだけではなく、その想像力の中身を、影像という形で示してもくれる。最初は舞台の上で展開していた芝居が、そのうち、舞台の外で展開するようになる。それでいて、舞台の内外が自然につながっていることを感じさせるのである。

映画の最大の見せ場は、英仏両軍の戦闘の場面だ。フランスの広大な平野を舞台に両軍の戦闘が繰り広げられる。戦闘の合間に、ヘンリー五世が姿を偽って自軍の兵士を慰問して歩き、彼らを一人一人激励する。英雄としてのヘンリーと一人の心優しいヘンリーとを交互に映すことで、イギリス王の人間としての偉大さを称えようとするのは、シェイクスピアの意図であったとともに、オリヴィエの意図でもあったといえよう。

イギリス(イングランド)軍は赤い十字の旗を掲げ、フランス軍はユリの紋章の旗を掲げて戦う。イギリス軍は、数の上では五倍のフランス軍を、勇敢さで圧倒して勝利する。その決戦の舞台はアジンコート(仏名アジャンクール)だ。戦いに敗れたフランス王は、和睦を申し出で、和解の徴としてフランス王女をヘンリー五世の妃として差し出す。これで両国の仲直りが成立してめでたしめでたし、というかといえば、そうはならなかったというのが、歴史の真実だ。イギリスとフランスとの戦いは、この後百年戦争というかたちで延々と続いてゆくのである。





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