壺齋散人の 映画探検
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ハムレット:ローレンス・オリヴィエ




シェイクスピア役者として出発したローレンス・オリヴィエにとって、「ハムレット」は、最も力を込めた映画作品だったようだ。オリヴィエは、シェイクスピアの映画化にあたって、なるべく原作の雰囲気を生かそうとした。「ヘンリー五世」などは、シェイクスピア時代のグローブ座での公演を再現したうえで、セリフ回しも原作をなるべくそのまま踏襲した。シェイクスピア時代の英語が、現代のイギリス人にも十分通じるから、そういうことができるのだろう。日本語の場合にはそうはいかない。近松や西鶴のセリフ回しをそのまま使ったら、いまの日本人には、理解できない部分が多くて、興ざめになるだろう。

ハムレットは長い作品なので、舞台で演じても四時間はかかる。それをそのまま映画にしたら、もっとかかるだろう。だからオリヴィエは、映画として冗長にならない程度にこれを短縮した。それでも、二時間半の長さになった。

短縮のポリシーはいくつかある。まず。メインプロットの進行上省いても差し支えないものはなるべく省く。たとえば、ローゼンクランツとギルデンスターンの出番とか、フォーティンブラスに関わるシーンはすべて省かれている。フォーティンブラスなどは、ハムレットが死んだ後に、舞台を閉じるという重要な役に関わらず、ハムレットの復讐劇には直接関係ないということで省いたのだろう。旅役者たちや墓堀人夫は、出てくるには出て来るが、大分省略されている。

つぎに、セリフ回し。これも劇の進行に差し支えない範囲で省略されている。また、長いセリフ回しで延々と語られる部分を、第三者による回想などの方法によって、それをさらりと要約するような方法もとっている。特にオフィーリアの部分にこの処理がなされているために、この映画では、オフィーリアの影が薄くなっている。その分、オフィーリアの父親ポローニアスの存在感が大きい。

また、いくつかのシーンを前後して移動させている。有名なハムレットの独白( To be or not to be )は、原作ではオフィーリアに逢う前につぶやかれることになっているが、映画ではオフィーリアに向かって「尼寺へ行け」といった後でつぶやく形に変えられている。ただし、独白の内容は原作そのままである。この独白は、シェイクスピアの朗読としては理想のものと評価されており、今でも、シェイクスピアのみならず英詩の朗読の手本となっている。

以上のような方針で、原作をいじった結果は、あまり不自然な感じは起こさせない。父親が叔父によって毒殺された経緯、父親の死にハムレットが復讐を誓う必然性、新たな夫と息子との間で葛藤に苦しむ王妃、ハムレットへのオフィーリアの不幸な愛、父親を殺され妹を失ったレアティーズの怒り、その怒りを利用してハムレットを殺そうとする叔父の狡猾さ、こういった要素が過不足なく展開されているので、原作を知らなくとも、ハムレットがどのような物語なのか、観客はそれなりの知識を得ることができるはずだ。

世の中には、映画を見ただけで、それの原作まで味わったつもりの人もいるものだが、この映画の場合には、かなりな程度原作を味わったことにさせてくれる、といえよう。

見どころは、ハムレットとレアティーズの剣の試合の場面だ。特に我々日本人にとっては、サーベルによる戦いぶりが非常に興味深く思われる。サーベルは相手を突くことを目的に作られているので、日本刀での戦いと違って、剣士たちは体を密着させることが多い。密着している間は、相手から突かれる心配はないわけだ。なお、このシーンは王宮の一室でなされるということになっており、映画の舞台も本物の舞台のように見える。





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