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ロストキング500年越の運命 リチャード三世の墓発掘



英国史上もっとも有名な王であるリチャード三世の墓が、2012年に発見され、世界中が大騒ぎになった。その墓の発掘に大きな貢献をしたのが、リチャード三世のファンを自認するフィリッパ・ラングリーだ。2022年のイギリス映画「ロストキング500年越の運命「ロストキング(The Lost King スティーヴン・フリアー監督)」は、墓発掘に情熱を傾けるラングリーの生きざまを描いたものだ。

リチャード三世は英国史上もっとも有名な王であるが、プラスの評価のためではなく、マイナス評価のためである。史上もっとも冷酷で残忍な男であり、権力を握るために悪逆非道な行為を重ねた、と言われる。そうしたイメージが確立するについては、シェイクスピアの歴史劇「リチャード三世」が大きく寄与している。シェイクスピアがそれを書いたのはリチャード三世の死後100年以上あとのことであり、自分の眼で見たわけでもない人物について、まるで実際に見た事実であるような描き方をしている。そのためもあって、リチャード三世のマイナスイメージは決定的なものになった。小生もシェイクスピアに影響されて、リチャード三世をマイナスイメージで見るようになったものだ。

ラングリーもまた、シェイクスピアの歴史劇を見た。しかしその描き方に不自然さを感じた。そこでリチャード三世がどんな人物だったか、その実像に迫りたいと思う。スコットランドにはリチャード三世のファンクラブ「リカーディアン」がある。そのクラブを訪ねたフィリッパに、クラブの人々は、リチャード三世は悪逆非道な君主ではなく、その反対に優れた王だったという。かれについてのマイナスイメージは、テューダー朝がでっち上げたものだというのだ。テューダー朝は、ヘンリー七世がリチャード三世を破ってたてたものである。だから自らの正当性を強調するために、リチャード三世を過度に貶めたというのである。

リチャード三世への思い入れが強まるラングリーの前に、リチャード三世の亡霊が現れたりする。亡霊のリチャードは背虫ではない。背筋がピンとしている。その亡霊に励まされて、ラングリーはリチャードの墓探しに狂奔する。ヒントは、リチャードが葬られた寺の跡地ということだった。その寺はレスターシャーにあって、広い駐車場がある。その駐車場の地下にリチャードの骨はあるのではないか。そう考えたフィリッパは、レスター大学の考古学者と協力して、資金集めをしながら、墓の発掘作業をすすめる。その結果、あきらかにリチャード三世と思われる骨を発掘するのである。

リチャード三世の骨が見つかったことは大きな反響を呼んだが、それによってリチャード三世についてのイメージが大きく変わることはなかったようである。そんなわけでこの映画は、一人のマニアの気晴らしを描くことにとどまっているようである。




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