壺齋散人の 映画探検
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裸の島:新藤兼人の世界



映画「裸の島」は、新藤兼人の名を世界的に有名にした。数々の国際映画祭で受賞し、60カ国以上で上映されたという。それは、この映画がわかりやすく、人情にすとんと響くところがあったということなのだろう。なにしろ、せりふが一切ないのだ。かといって、サイレント映画ではない。学校の生徒たちの騒ぎ声だとか、踊りの歌声だとか、母親のむせび泣く声だとかは聞こえてくる。しかし、言葉によるメッセージはない。それでも、画像からは雄弁なメッセージが伝わってくる。もっともそれは、知的なメッセージではなく、感性的なメッセージなのだが。逆に言えば、それでこそ、この映画は、国籍の相違を超えて、世界中の人々にストレートに訴えかけたのかもしれない。

新藤は、せりふの一切ない映像だけの映画を作りたいとかねてから思っていたそうだ。新藤はそれを、「映画詩」と自分で呼んだ。その映画詩のかたちで、新藤なりに考えた人間の生きる意味について、表現したかったということらしい。

映画の舞台は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島だ。その島はお椀を伏せたような形の島で、ところどころ潅木が生えているほかは、何もない。俯瞰すると、地肌が砂漠のようにも見える。文字通り「裸の島」といってよい。その島に、一組の夫婦と二人の子どもが暮らしている。島には彼らのほかに誰もいない。彼らは、自分たちだけを頼りに、乾いた島の地面を耕し、そこに水をやり、わずかばかりの収穫を頼りにして暮らしている。

この島には水が出ない。そこで隣の島から船で運んでこなければならない。夫婦は毎日何回もその島との間を往復して水を運び、運んだ水を段々畑の乾いた土にかける作業を続ける。その、水を運んで来て土にかけるシーンが、この映画では何回も何回も繰り返される。まるで、この映画の主題は、人間の無益な労働を描くことにある、といいたいかのように。というのも、いくら小さな島で、ちっぽけな畑とはいえ、人間が外から船で水を運んできて、それを土にかけるというのは、あまりにも途方のないことのように思われるからである。

実際、この映画の中では、殿山泰司と乙羽信子の夫婦が、船をこいで隣の島との間を往復し、桶に入れて運んだ水を肩に担いで、急な斜面を上るシーンが繰りかえし出てくるのだが、それを見た観客には、その労働にはきりがないと思わせられるところがある。

そのきりのない労働は、あのシジフォスの神話を思い出させる。シジフォスの場合には、せっかく苦労して持ち上げても必ず落ちてしまう岩を、無駄だとわかっていながら永遠に持ち上げ続けねばならないという話だったが、この夫婦の場合も、いくら土に水をやっても、それで終わりということがないように見えるのだ。しかも、彼らの労働の苦しさは、シジフォス以上ともいえる。苦しさのあまり、妻は転んで桶の中の水をこぼしてしまうくらいなのだが、それを見た夫は、ねぎらうどころか、平手打ちを食わせるのである。

だが、シジフォスの労働が永遠に無益なのに対して、この夫婦の労働は報われる。汗水流してつらい労働を続けた結果実った麦を、夫婦は船に積んで内地の町に運び、それを売ってわずかばかりの金を得る。その金で、妻は日常必要な品々を買い求めるのだ。

二人の子供たちも、親を助けながら精一杯生きている。親が夜明け前から隣の島に水を汲みに行っている間に、朝飯の支度をしておき、親が帰ってくると一緒に飯を食い、飯を食い終わると、上の子は母親のこぐ舟に乗って、隣の島にある学校に通うのである。また、学校が休みの時間帯には、海にもぐったり、釣をしたりして魚を捕まえる。大物が釣れると、一家でそれを内地の町に運び、売れた金で親子そろって飯を食うのである。飯を食った後、親子はロープウェーに乗り、高台から海辺の町の景色を眺める。筆者は、瀬戸内海には土地勘がないのだが、どうやらこのロープウェーは尾道にあるものらしい。彼らが眺め下ろしている街は、尾道なのだろう。ともあれ、こうして親子揃っていることこそが、生きていることの本当のあかしだという思いが伝わってくる場面だ。

しかし、やがて悲しいことが起こる。上の子が熱病にかかって死んでしまうのだ。この子が病気になったときに、もっと早く気づいて医者に見せていたら、あるいは助かったかもしれない。しかし、両親には厳しい労働がある。その労働をしている間に、手遅れになってしまったのだ。だから、とりわけ母親は、後ろめたい気持ちになる。だからといって、どうなるというものでもない。同級生たちを迎えて子どもの葬儀を終えると、またもとどおりの日々が待っている。夫婦は、あいかわらず隣の島から水を運び、それを乾いた畑の土にまく。だが、そのうち母親は、桶をひっくり返し、折角植えた苗を引っこ抜いたあげく、畑に突っ伏して激しく泣くのだ。それまでひとことも声を立てなかった乙羽信子が、ここではじめて声を立てて泣く。その泣き声がなんとも切ない。今度ばかりは、夫の殿山泰司も、妻のほうを無言で見つめるばかりだ。

離島でのこんな生活が実際あったのかどうか、それはどうでもよいと、新藤は思っていたようだ。限界状況の中で生きている人間を描くには、このようなセッティングが効果的だと、彼は考えたのであろう。そうしたセッティングに相応しい場所として選んだのが、瀬戸内海の三原の沖に浮かぶ宿弥島という孤島だった。新藤はこの島を偶然見つけて、スタッフとともに渡ったところ、そこには50歳くらいの男があばら家を建てて住んでいた。その男は、復員して家に戻ってきたところが、妻が他の男と一緒に逐電していたことを知り、世の中をはかなんで、この島であひるやヤギと一緒に暮らすことにしたのだという。そのあひるやヤギは、この映画の中にも出てくる。また、妻に逃げられた男の話は、新藤の遺作「一枚のはがき」のなかにも生かされている。「一枚のはがき」では、そのほか、大竹しのぶと豊川悦司が桶で水を運ぶシーンも出てきた。それが、この映画のリフレインであることはいうまでもなかろう。

この水は相当重かったに違いない。非力な筆者などには担げそうもない(新藤自身も担げないといっている)。ところが乙羽信子は、満々と水をたたえた桶を、肩に担いで急な斜面を上っている。これを撮影するために、彼女の肩の皮が三度も剥けたそうである。(立花珠樹「新藤兼人 私の十本」による)





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