壺齋散人の 映画探検
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午後の遺言状:新藤兼人の世界



「午後の遺言状」は、八十歳を過ぎた新藤兼人が、老いるとはどういうことか、ということを描きたいと思って作ったのだそうだ。新藤は、当時八十台半ばを過ぎていた杉村春子を口説くのに、あなたの皺を撮らせてほしいといったところ、杉村は撮らせてあげるというような言葉を返したそうである。この映画には、そんな杉村に対するオマージュのような意味合いもある。

この映画は、人間の老いを描いたこともあって、新藤は成功するかどうか自信がなかったというが、公開されるや大ヒットとなった。その主な理由は、杉村が主演しているということよりも、助演者の乙羽信子の方にあった。乙羽は、この映画が公開された時には、もうこの世にいなかった。彼女は、その直前に肝臓ガンのために亡くなっていたのである。この映画は、そんな乙羽がガンの苦しみと戦いながら作ったという話が広がり、大勢の人が、そんな乙羽の姿を見たいと思って、映画館に足を運んだ、と言われたものである。

新藤が、映画の構想に取り掛かった時には、まだ乙羽の病状は明らかになっていなかったという。しかし、映画作りが進むなかで、乙羽の病気が明らかになり、手術をしても見通しはよくならず、余命いくばくもないということがわかっている中で、作られた。春にクランクインし、秋に撮影が終わったが、その時には、乙羽はまともに立っていられないほど衰弱していた。彼女は、撮影が終わってわずか三か月後、その年の冬に死ぬのである。

こんな経緯があったから、乙羽に対する新藤の気遣いが、映画を通じて伝わってくるような感じがする。この映画は、あくまでも杉村春子が主演であり、筋書きも彼女を中心に展開していくはずなのだが、乙羽の存在感があまりにも大きいために、焦点がどこにあるのか、途中からわからなくなってしまうほどなのだ。

杉村春子は新劇の大女優ということになっている。その彼女が避暑のために蓼科の別荘にやってくる。乙羽はその別荘の管理人を引き受けているという設定だ。この二人は、たんなる委託・受託の間柄ではないということが、やがて明らかになってくる。彼女らは、杉村の夫を巡って恋敵の関係にあったのだ。その二人に、老人夫婦(観世栄夫と朝霧鏡子)が加わる。妻の方は、認知症になっており、夫の世話がなければ生きていけない状態だ。そんな彼女に、杉村は娘時代を思い出させようとする。娘時代、二人は一緒に新劇の舞台に立っていたというのである。

こうして、四人の老人たちの、不思議な共同生活が繰り広げられる。乙羽の娘とその恋人のあっけらかんとした関係、突然現れた強盗の無茶苦茶な行動、強盗を取り押さえることに功績があったとして警察署から表彰状を受け取る四人、その金一封でうまいものを食おうとしてレストランで高価な料理を注文してみたものの、金一封の中身はただの一万円で、一人分の金額にも満たなかったことなど、ユーモラスな話題が展開された後で、老人夫婦が暇乞いをする。彼らはその後、北陸の海岸で入水自殺をするのだ。彼らが、杉村のもとに立ち寄ったのは、死ぬ前に昔の友人ともう一度会いたいという妻の望みをかなえるためだった。

筋書きからは、この映画が老いの意味を考えているようには伝わってこない恨みがある。それは、何故だろうか、というと、主演者の杉村に、老いの雰囲気がないからだろう。老いは、老人夫婦に一身に体現された形になっており、杉村も乙羽も老いを感じさせない。それどころか、乙羽が以前杉村の夫と浮気をして、その結果生まれたのが今いる娘だと、杉村に向かって宣言するところから、二人は恋敵として衝突するのである。恋敵に老いは無縁である。

映画のなかにはいくつか見どころがある。ひとつは、観世栄夫が謡曲を謡う場面だ。朝食が終ると、妻の朝霧が夫に向かって稽古をしなさいと命令する。この二人は、毎日朝食の後で謡の稽古をするのを習慣としているというのだ。そこで観世が謡う。「娑婆にてウトオヤスカタとみえしも~」と聞こえてくるので、善知鳥の一節だとわかる。観世栄夫はいうまでもなく、観世流能楽師の出である。

乙羽の娘の結婚をめぐって、足入れという行事の紹介がある。足入れというのは、正式の結婚に先立って、互いに相手を確認しあうために、結婚の真似事をするというものだ。村の長老以下、地元の人々の後見のもと、男女が結ばれ合うことをイメージした儀式が行われる。地元の男たちが、花嫁花婿に扮して奇妙な踊りを繰り広げる。花婿役が男根の形をした巨大なすりこ木を振り回しながら、花嫁役の腰を突き上げようとする仕草を繰り返す。いうまでもなく、性交をイメージした儀式だ。この儀式に促されるようにして、本物の花婿花嫁が、臨時に作られた小屋の中に入って、こちらは本物の性交をしようとする。その光景が、いかにも感がこもっている。

足入れの儀式というのは、いまでは廃れてしまったが、かつては日本中どこでも見られたものだ。東京の東部から千葉県にかけても、つい最近までその風習が残っていたことが確認できる。

杉村と乙羽が、観世夫婦のその後の足取りを追って北陸の海岸を訪ねる場面で、二人の遺体を収めた棺桶が、海中から出てくるシーンがある。棺は数人の黒子達によって担がれている。その棺が、砂浜にうずくまっている乙羽と杉村の傍らを通り過ぎて行く。その様子が幻想的に迫ってくる。この場面を撮り終わった後、乙羽は起き上がることができずに、その場にうずくまったままだったという。

題名の「午後の遺言状」というのは、人は六十を過ぎたら自分の人生を総括し、遺言を残さなければならないという、新藤の信念を現した言葉だそうだ。午後とは、人生の後半を意味する象徴的な表現だということである。映画の中では、杉村の遺言が、大きな石としてあらわされている。近所の河原で拾ったこの大きな石で、自分の棺の釘を打って欲しいと杉村は乙羽に伝えるのだが、どういうわけか乙羽は、その石をもとあった河原に捨ててしまうのである。

しかし、見方によっては、乙羽は、自分の死後のことを考えるのはよしなさい、と言っているようにも見える。死後のことを考える暇があったら、いま生きることを考えなさい。そんなふうに言っているようにも見える。実際、この映画を見た当時の観客の多くも、それが乙羽の残したメッセージ、つまり彼女の遺言と受け取ったのではないか。





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