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アラビアのロレンス( Lawrence of Arabia ):デヴィッド・リーン



「アラビアのロレンス」ことトーマス・エドワード・ロレンスは、トルコからのアラビア独立運動にかかわった人物として歴史上名高い。彼の隠された任務は、アラビアをトルコから離反させ、その後の混乱に乗じてアラビアを植民地化しようとするイギリス帝国主義の露払いをつとめることにあったが、任務に従事している間に、彼自身がアラビアに愛着を感じるようになり、それが彼の行動を複雑なものにした。歴史上の人物でありながら、あたかも壮大な叙事詩の英雄としての側面を兼ね備えた稀有な人物なのである。それ故、彼の半生は、様々な人々にとって、つきせぬ霊感の泉ともなってきた。アラビアとは殆ど関係を持たない日本人でさえ、中野好夫のような学者が、彼の半生を取り上げて論じているほどだ。

デヴィッド・リーン( David Lean )の映画「アラビアのロレンス( Lawrence of Arabia )」は、そんなロレンスのアラビアでの活躍ぶりを描いた作品である。題名が、in Arabia でなく of Arabia であることに注目すべきであろう。これによって、この作品が、単にアラビアにいる人間を描いたのではなく、アラビアの申し子ともいうべき人間を描いたのだということをアピールしていると思われるのである。そのアピールの仕方には、二つある。一つは、ロレンスの、(弱さを含めて)人間としての生き方に焦点をあてること、もう一つは、自然を含めたアラブ的なものを前面に押し出すことだ。このアピールは成功したようで、映画は世界中でヒットした。なにしろ三時間半という長大さにもかかわらず、当時の人々は退屈さを感じるどころか、時間を忘れてスクリーンに没頭したのである。

この映画が公開された時点では、ロレンスは歴史上の人物になっており、その華々しい戦功から、完璧な英雄として祭り上げられていたきらいがあったのだが、リーンはロレンスの素顔に肉薄し、彼が単なる(と言ってはおかしいが)英雄ではなく、複雑な面を併せ持った一人の人間であったということをあぶりだした。強さの中にも弱さがひそみ、愛と憎しみとがこもごも相至ると言った、ごく普通の人間だったと、リーンは主張しているかのようである。

また、アラビアのアラビアらしさと言う点では、まず、その自然の圧倒的な過酷さがものすごい勢いで迫ってくる。とにかく、何もない砂漠が延々と広がっている。石一つないような砂だらけの台地が果てもなく広がっているといったイメージなのだ。こんなイメージは、豊かな自然にはぐくまれた日本人はおろか、欧米人にも強烈に映っただろう。アラブの砂漠地帯の過酷さについては、フランス映画「眼には眼を」でも紹介されていたが、この映画の中の自然の過酷さは、それ以上の迫力を以て迫ってくる。

そして、その過酷な自然の中で生きるアラブ人たち。この人たちの生き方も、我々の想像を絶したものなので、それを見せられると文化的なカウンターショックに見舞われたような気がする。

三時間半にも及ぶ長大な作品とあって、中断を挟んで前後に別れる。前篇では、カイロに本拠を置くイギリス軍からアラビアに派遣されたロレンスが、アラビア側の指導者ファイサル王子とコンタクトをとり、トルコ軍との戦闘に備えるところが描かれる。まず少数の精鋭部隊を率いてアカバの奪取を試みる。アカバに向かう途中、現地のアラブ人たちを糾合し、膨大な数に膨れ上がったアラブ人とともについにアカバの占領に成功する。この過程で、ロレンスが、自らの人間的な魅力を通じて、次第にアラブ人たちから信頼されていく過程が描かれるわけだ。

後段では、成功体験に有頂天になったロレンスが、ちょっとしたことから自信を失い、その行動に異常さが現れてくる過程を描く。そのちょっとした事件というのは、トルコ軍の兵士によって拷問されたことなのだった。実はこの拷問というのは、ロレンスがトルコの将軍の男色の餌食にされたということらしいのだが、映画ではそのことは、あからさまには表現されていない。とにかく、この拷問がきっかけで、ロレンスは人が変ったようになってしまうのだ。

自信をなくしたロレンスは、一旦はアラビアから逃れようとするが、司令官の説得で再びアラブに戻り、アラブ人部隊を率いてダマスカス攻略作戦に従事する。トルコ人に拷問(強姦)されたことでトルコ人を憎むようになったロレンスは、逃げ惑うトルコ兵部隊を皆殺しにするような野蛮な行為もする。ロレンスに始終従ってきたアラブの首長アリは、そんなロレンスを見て動揺する。

ロレンスたちはついにダマスカスの占領に成功する。しかし、その後がよくない。占領したはいいが、それを有効に統治することができないのだ。ダマスカスに成立したアラブ人の臨時政権は、部族間の闘争に明け暮れて、まとまった行動がとれない。ただの烏合の衆なのである。

ロレンスもまた、統治者としての能力は持っていない。彼はただの破壊者なのである。破壊の役割が終わった後では、彼に期待される役割は何もない。あとは、イギリス本国がアラブを植民地化して、有効に統治するようになるだろう。もはやアラビアにロレンスの居場所はないのだ。というところでこの映画は終わるのである。

以上ごく簡単に粗筋を書いたが、映画の中身は、こんな粗筋で紹介できるようなちっぽけなものではない。とにかく見どころが多い。傑作というべきである。

ロレンスを演じたのはピーター・オトゥール( Peter O'Toole )。ロレンス自身は165cm程度の小男だったらしいが、188センチある大男のオトゥールが、繊細なところのあるロレンスをよく演じている。ファイサル王子はアレック・ギネス( Alec Guinness )、アレンビー将軍はジャック・ホーキンス( Jack Hawkins )、どちらもリーン映画の常連だ。ロレンスを敬慕するアラブの首長アリはオマー・シャリフ( Omar Sharif )、またハウェイタット族の首長アウドはアンソニー・クイン( Anthony Quinn )が演じている。クインの野生ぶりも、この映画の見どころのひとつだ。





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