壺齋散人の 映画探検
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マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙



イギリス映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を見た。メリル・ストリープ演じるところのサッチャー女史の生き方が話題になり、Newsweek なども大きくとりあげていたこともあって、気になっていた映画だ。果して、そこそこに面白かった。

そこそこに、というのは映画の作り方が一風変わっていて、サッチャー女史について深く知らなくても、何となくわかったような気にさせられるからだ。彼女は政治家としては賛否さまざまな評価がありえるが、一人の人間としては、人を納得させるような生き方をした、この映画はそんなメッセージを出しているのかもしれない。

映画では、老いて認知症を患っている一人の老女が、自分の生きてきた人生の齣々を断片的に思い出すという形式がとられている。思い出の中で大きな比重を占めるのは夫のデヴィッドだ。思い出している女史はすでに80歳くらいになっているのだろう。ということは、映画が作られていた時期と殆ど異ならない時期ということになる。(ちなみにサッチャー女史は今でも存命だ)

サッチャー女史は1990年に65歳で首相の座を降り、2000年頃から認知症を患うようになった。2003年に夫のデヴィッドが死んだが、サッチャー女史は夫が死んだことの意味をよく理解することができなかったという。そんな老いたサッチャー女史を演じるメリル・ストリープが圧巻だ。初めて画面に現れたときなどは、まだ60歳前後であるはずのメリルが、80歳くらいの老女に見えた。たるんだ首に無数の皺といった念入りなメーキャップのためだろうが、演技の効果もあろう。

映画の中のサッチャー首相は、英国議会のマッド・メン社会の中で、指導者として頭角をあらわしていく過程が描かれている。女性であるサッチャーを首相にまでのし上げた原動力は、彼女のゆるぎない信念だった。それは自分のことは自分で始末せよという、単純な処世訓のようなものだった。それを彼女は父親から学んだのだった。

彼女の父親は、地方の小さな町でグローサリーを経営するプチ・ブルだった。イギリスでは、プチ・ブルの出身者が大政治家になったためしはない。政治は貴族社会の慰みごとなのだ。そんなサッチャーの政治的な成功を支えたのが夫のデヴィッドだったことは、いまでは広く知られている。デヴィッドは、身分は余り高いとは言えなかったが、金はもっていた。

彼女の信念は、二つの試練に直面した。ひとつは吹き荒れる階級対立とどう向き合うかという問題であり、もう一つはフォークランド紛争だ。

サッチャーが首相だった時期のイギリスでは、経済的な不況と労使間の鋭い対立が最大の問題となっていた。学者たちはそれをイギリス病と呼んでいた。サッチャー女史はそうした問題に対して、今日サッチャリズムと呼ばれるような、先鋭的な態度で臨んだ。その結果対立はますます先鋭化したが、サッチャーは最後まで妥協することがなかった。それについての評価はいまだ定まってはいない。この映画もまた、それに対する価値判断はしていない。

フォークランド紛争は、イギリスの落ちかけていた国家威信をかけた戦いになった。それに勝利したことが、サッチャー女史に対するイギリス国民の高い評価につながり、彼女の長期政権を可能にさせた原動力になった。

サッチャー女史は11年間もイギリスの首相を務めた。彼女が首相の座から降りることになったきっかけは、同僚たちの反乱だった。直接の引き金はEUへの加盟をめぐる問題だったが、それ以上に日頃の彼女の姿勢に辟易させられていた保守党員たちが、彼女とはこれ以上一緒にやっていけないと思うようになったことが根本的な原因だった。彼女はそれを裏切りと云って罵ったが、だれも耳を貸す者はなかった。

こうして彼女は政治の舞台を降りることになった。彼女が最後の演説を国会議事堂の中で行っているとき、外にいた群衆は口々に「魔女は去った(Ding Dong, The Witch is dead.)」と叫んでいたということになっているが、映画ではそこまでは踏み込んではいない。





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