壺齋散人の 映画探検
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パウエル&プレスバーガー「黒水仙」 ヒマラヤでの修道院生活



マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガー共同監督の1947年の映画「黒水仙(Black Narcissus)」は、イギリス人の修道女たちが、ヒマラヤの山地でキリスト教の布教と慈善活動をする様子を描いた作品。イギリス人の体現する文明が、インド人の野蛮な風習を開化するというような、植民地主義丸出しの視点を感じさせる。まだインドが独立していない時期で、イギリス人が支配者として君臨していた時代だから、そういう傲慢な視点がまかりとおっていたわけだ。

カルカッタに拠点を置く修道院が、ヒマラヤのダージリン地方に支院を開設する。ダージリンは紅茶の産地として有名なところ。ネパールとブータンに挟まれたところに位置する。そこでキリスト教を布教するかたわら、児童教育や病気の治療を行おうというのだ。その修道院に数名の尼が派遣される。デボラ・カー演じる修道女シスター・クローダが院長である。経験不足で人望があるとはいえない。また、多少傲慢なところがある。それが災いして、ミッションは破綻する、というような内容。

最初はなんとかうまくやっていた。地元の族長が全面的なバックアップをしてくれ、また、地元に詳しいイギリス人のサポートがあったからだ。それが一夜にして破綻する。原因は、幼い子供の命を救えなかったことだ。そのために、地元民がいっせいに反発する。並行して修道女たちの人間関係にひびが入る。院を立ち去ることを願う尼、奉仕期間の延長を希望しない尼が現われ、それに加えてイギリス人の男をめぐって、院長と一尼との間に恋のさや当てがおこる。それが原因で、尼が死ぬ。結局修道院の運営は破綻し、修道女たちはカルカッタに引き上げることになる。それは、イギリス人の男が予言したとおりだった。

カンチという名の現地の若い女を演じたジーン・シモンズが見ものだ。彼女はイギリス人なのだが、鼻にリングをつけたりして、インド人の若い女を演じていた。彼女の存在があるために、映画に色気が備わっている。もっともそこには、イギリス人のインドにたいするステロタイプを感じさせるものがあるのだが。




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