壺齋散人の 映画探検
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殺人狂時代(Monsieur Verdoux):チャーリー・チャップリン



チャップリンの映画「殺人狂時代(Monsieur Verdoux)」は、いわゆるチャップリンらしさを大きくはみ出した作品だ。それまでのチャップリン映画の基本的な要素である、あの放浪者のイメージに代わって、いささか滑稽さは伴っているとはいえ、シリアスな人物が主人公だし、その行動は、善良だが常識を逸脱した、いわば愛すべき行動ではなく、憎むべき犯罪だ。というのもこの映画の中でチャップリンが演じたのは、女たらしの結婚詐欺師であり、金のために次々と女を騙しては、都合が悪くなると殺してしまうという、身の毛もよだつような殺人者なのである。主人公自らが自分の死後に回想して言っているように、彼は20世紀の青髭なのだ。

原題は"ムシュー・ヴェルドゥー"。主人公の名前である。もっとも彼はそのほかにいくつもの名前を持っており、どれが本当の名前かはわからぬのだが、すべての名前を通じて彼のアイデンティティをなしているのは結婚詐欺師にして殺人者、すなわち現代の青髭という属性である。日本での公開題名「殺人狂時代」は、副題の「殺人のコメディ」を踏まえている。「殺人者」あるいは「青髭」とせずに、「殺人狂時代」などと大げさな題名にしたのは、この映画が公開された時代背景、すなわち第二次世界大戦という人類史上未曾有の殺人行為が世界規模で実施された直後だったということを反映していると思われる。大規模殺人がノーマルになってしまった時代にあっては、一殺人者のちっぽけな殺人行為などとるに足らない、そんな時代にあっては、殺人の横行する時代そのものが主人公なのであり、個々の殺人行為は単なる範例に過ぎない、というわけなのであろう。

こんなことから、チャップリはこの映画の中で、時代を鋭く批判しているということが感じられる。映画の最後のほうで、100万人殺せば英雄になれるが、数人殺しただけではただの犯罪者にされる、と主人公がうそぶく場面が出てくるが、これは戦争と殺人とが基本的には同じものだというチャップリンの信念を述べたものと受け取れる。当時のアメリカ人は、自分たちが行った戦争は、正義の戦いだったと思い込んでいたから、その正義の戦いを巷の殺人行為と一緒くたにしたこの発言は大いに物議をかもした。チャップリンはやがてマッカーシズムの熱狂の標的とされアメリカから追放されてしまうのだが、それにはこの映画における彼のメッセージが大いにあずかったといえよう。

ヴェルドゥーが青髭もどきの殺人者になったのは、なにも好き好んでのことではない、彼は1930年代の大不況の犠牲になって失業した結果、自分や家族を養う為に、やむを得ず結婚詐欺をはたらくようになり、それに付随して次々と女を殺すようになった、と弁明している。しかしチャップリンのどこに女を引きつける魅力があるのだろうか。彼には金は無論ないし、美貌もない、性的能力も抜群だというわけではないらしい。なのになぜか女たちは、チャップリンに夢中になり、自分のすべてをチャップリンに与えた挙句、殺されてしまうのだ。そんな手口で殺された女の数は14人に上るとアナウンスされる。この十四件の殺人に加えてチャップリン(=ヴェルドゥー)は、自分を付回す刑事まで殺してしまうのである。

連続殺人の犯人であるくらいだから、チャップリン演じるヴェルドゥーは、能天気な放浪者と同じキャラクターではありえない。女をだまして金を巻き上げるにはそれ相応の智恵がいるし、またある程度の男前も必要だ。仕草だって、だらくさくてはすまない。ある程度エレガントであることを求められる。ところがチャップリンの演じることだから、どの要素も完璧とはいかない。彼の智恵には盲点があるし、その仕草にはぎごちなさが伴い、したがってどう見ても男前とはいかない。やはり喜劇役者のなりそこないといった風采だ。ところが、そのうだつのあがらぬ風采を以て次々と女をたぶらかすと思えば、若い女性からひそかな思いを寄せられるなど、男冥利につきるようなモテモテぶりである。なにしろ戦争と殺人を同一視するくらいだから、この世の中に、不自然なことなどないのだ、と言いたいかのようである。

ヴェルドゥーにもついに成仏する日がやってくる。彼にはフランスの古典的な処刑法であるギロチンが適用される(この映画の舞台はフランスなのだ)。処刑を待つ間、司祭がやってきて、神の前で悔い改めるように諭す。ヴェルドゥーは悔い改めることは何もないと答える。いまや家族を失った身には、戦うべきものもなければ、悔い改めるべきこともないのだ。こうしてヴェルドゥーは無神論者として死んでゆく。その死に様は、あのジュリアン・ソレルよりも大胆ではないか、そんな声がスクリーンの向こう側から聞こえて来そうである。

なお、この映画の中のチャップリンの口髭は自前のものだそうである。それまで彼はアザラシの毛で作った付髭をつけていたが、この映画では自分の髭を生やしたという。自分の髭であるためか、その形はいまひとつ締りがない。





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