壺齋散人の 映画探検
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駅馬車( Stagecoach ):ジョン・フォード




ジョン・フォード( John Ford )の1939年の映画「駅馬車( Stagecoach )」は、西部劇の古典的名作との評価が高い。西部劇といえば、開拓者とインディアンとの戦い、熱血漢とならず者の決闘、そして無骨な男同士の熱い友情といったテーマが定番だが、この映画はそうした要素のすべてを兼ね備えている。アメリカ人はこの映画の中に、古きよき時代のアメリカ精神とも言うべきものを見出し、心の震えるのを覚えると言う。そうした点では、単に西部劇の傑作と言うにとどまらず、アメリカ映画の金字塔とも言えよう。

筋書きはいたって単純だ。アリゾナのトントとニューメキシコのローズバーグを結ぶ駅馬車に、数人の人たちが乗り合わせる。みなそれぞれに自分なりの過去を引きずりながら、この駅馬車に一定の目的を託している。駅馬車はインディアンの居住区を横断するので、襲われる危険がある。乗客たちはその危険を冒してまで先へ進むことを選ぶ。案の状、駅馬車は途中でアパッチインディアンの集団に襲われる。だが、乗客たちの英雄的な反撃と、騎兵隊の援軍によって、駅馬車は窮地を脱する。何とか目的地についた駅馬車の乗客には、それぞれの未来が待ち受けている。その一人、ジョン・ウェイン( John Wayne )扮するお尋ね者のリンゴ・キッドが、自分の父親と弟を殺した一家に敵討ちをする。そんなリンゴに友情を感じた保安官は、キッドをその愛する女ともども逃がしてやるのだ。

こんなふうに要約すると、ありふれたメロドラマのようにも聞こえるが、そこは名匠といわれたジョン・フォードのこと、つまらぬメロドラマには終わらせず、余韻豊かな人間劇に仕立て上げている。名作と言われる所以だ。

ジョン・ウェインは、それまではB級映画ばかりに出演し、大根役者と言われていたが、この映画で一躍大スターになり、以後ジョン・フォードの映画の常連となった。決して器用な役者ではないが、なんともいえない人間的な魅力を感じさせる。アメリカ人の好きなタイプの俳優なのだろう。日本人もアメリカ人に劣らずジョン・ウェインが好きだ。

ジョン・ウェイン=リンゴの愛する女ダラスを演じていたのはクレア・トレヴァー( Claire Trevor )。ダラスは娼婦ということになっており、それを理由にトントの町を追放されたのだが、そんな自分に愛を打ち明けるリンゴに複雑な感情を持つ。男に愛されることが、うれしくもあり、怖くもあるのだ。

乗合馬車に娼婦が乗り合わせるというのは、モーパッサンの小説「脂肪の塊」を想起させる。実際ジョン・フォードはこの小説にヒントを得て、ダラスという女性像を造形したと言っている。脂肪の塊の女主人公は、同乗の男から無理やりベッドに引きずり込まれるのだが、ダラスの場合には、お尋ね者とはいえ、誠実な男から求婚されるわけだ。

同乗客の中でもっとも光っているのは、酔っ払いの医者を演じたトーマス・ミッチェル(Thomas Mitchell )だ。この医者はいつも酔いつぶれているのだが、中継地点で女性客の一人が産気づいたのを見ると、コーヒーをがぶ飲みして酔いを覚まし、彼女の出産を無事助けるのだ。

その女性に好意を寄せる謎の男ハットフィールドは、駅馬車がインディアンに襲われて絶体絶命の事態に陥ったときに、その女性を射殺して楽にしてやろうと思うのだが、撃ちきれずに逡巡しているところを、自分自身がインディアンの銃弾に当たって死んでしまう。

このほか、いかがわしい銀行家や酒の営業マンなどが出てくる。銀行家は、大金を横領して逃亡する途中なのだが、政府はビジネスに干渉せずに、税率をもっと下げろ、というのが口癖だ。今日闊歩している新自由主義者たちの先祖とも言うべき人間像だ。

保安官は、脱獄したリンゴ・キッドを何とかして捕まえたと思っていた矢先に、この駅馬車にリンゴが現れるに違いないと踏んで、護衛を名目に乗り込む。リンゴは、自分の親の敵がローズバーグにいることを知って、その連中をつけねらっているに違いないから、きっとこの駅馬車に乗ってくるに違いないと予想したわけだ。果たしてリンゴは途中から駅馬車に乗ってきた。リンゴを捕まえて当局に突き出せば多額の懸賞金が手に入る。保安官は、本職を忘れて賞金稼ぎに変身しているわけだ。

ところが、リンゴはインディアンの襲撃に対して英雄的な反撃をする。駅馬車が窮地を脱することができたのは、リンゴの働きによるといってもよい。リンゴをただの金づると思っていた保安官は、その働きに感心して俄かにリンゴに友情を抱くようになる。そして、リンゴに仇を打たせてやった後、彼の愛する女ともども逃がしてやると言うわけなのだ。

こんなわけで、この映画は西部劇としての魅力がいっぱい詰まっている。しかし、こうした西部劇は、20世紀の最後の三分の一以降は、だんだんと製作されなくなった。一つには、インディアン(=アメリカ原住民)に対する露骨な人種差別がアメリカの良心に反すると考えられるようになってきたこと、もう一つは、男たちの決闘シーンが暴力礼賛と受け取られたこと、などに原因がある。

この映画でも、インディアンは何の理由もなく闇雲に襲い掛かってくるというふうに描いている点で、インディアンへの露骨な差別意識を感じさせる。一方決闘シーンのほうは、さりげなく描かれているので、あまり暴力的な印象は与えない。この映画は、暴力よりも、人間同士の信頼のほうに、焦点を当てていると言ってもよい。





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