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月光の女(The Letter):ウィリアム・ワイラー



ウィリアム・ワイラーの1940年の映画「月光の女(The Letter)」は、一種のサスペンス・ドラマである。原作はイギリスの小説家サマーセット・モームの短編小説。それに一部脚色して映画化した。イギリスの小説が原作だから、映画でもイギリス人が出てくることになっている。そのイギリス人たちはかつての植民地であるマレーシアに住んでいることになっており、そこを舞台にして事件が展開する。

事件というのは殺人事件である。ベティ・デーヴィス演じるプランテーション農園の夫人が一人の男を射殺する。夫人はその男から暴行されそうになって、やむをえず銃を撃ったとして正当防衛を主張する。それを彼女の夫も、その友人である弁護士も信じる。弁護士は彼女のために弁護を引き受ける。

ところが彼女が事件の当日、被害者に一通の手紙を届けていたことがわかる。その手紙にはあなたが恋しいから是非会いに来てくれと書いてあった。つまり彼女は、かつての恋人を夫の留守中自宅に呼び寄せて、そこで何らかの事情でその男を殺してしまったわけである。

真相を知った弁護士は動揺するが、彼女のために弁護をすることを約束する。英米系の事件弁護士というのは、依頼人が黒とわかっていても、その無罪を主張し、それが通ることを誇りとする文化があるようで、この弁護士は彼女を無罪にするために最大限の努力をし、それが実って無罪を勝ち取るのである。

この辺は、法的な責任と道義的な責任を峻別する英米系の道徳観が強く反映したものと言える。日本のように法と道徳とが分離していない文化においては、道義的に責任があるものが、法的に全く罰せられないことは、我慢のならないことである。しかし英米系の文化ではそうではない。というのは、法的なプロセスはある種のゲームであって、裁判に勝つことはゲームに勝つことに他ならない。誰が見ても有罪に違いないことを無罪にすることは、弁護士にとっては職業上の腕の見せ所なのである。

ところが彼女は法的には無罪となったものの、道義的には自分のおかした罪に苦しむ。弁護士もまたすっきりした気分になれない。そんなところを、殺された恋人の妻で、彼女の手紙を持っており、かつそれを彼女に金で売った女が、彼女をナイフで殺す。つまり彼女は法的には罰せられなかったが、別の意味で罰せられたということになっているわけだ。

そんなわけでこの映画は、英米系の法意識が強く反映した作品だといえる。この映画が描いているのは、法とは一種のゲームのようなものだとの了解で成り立っているような世界のあり方だ。しかし、ワイラーはそれで終わらせずに、殺人を犯した夫人に別の形で罰を与えているし、その罰を下した現地の人間に一抹の理があることを認めているようにも見える。そこがこの映画のユニークなところだ。ワイラーはユダヤ人なので、法と道徳とを峻別して考えることができなかったのかもしれない。

女主人公を演じたベティ・デーヴィスの演技が圧巻だ。さすがはハリウッドきっての演技派女優と言われるだけはある。

映画の中で、夫人が男を射殺する場面、夫人が男の妻から殺される場面、このいずれも月が光り輝く夜のこととなっている。日本語のタイトル「月光の女」はそこから取ったのだろうと思われる。邦題としては洒落た部類に入ると思う。




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