壺齋散人の 映画探検
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ウィリアム・ワイラー「ベン・ハー」:スペクタクル巨編



「ベン・ハー(Ben Hur)」は、映画作りの名手ウィリアム・ワイラーのスペクタクル巨編であり、かれの最高傑作と言ってよい。3時間40分という異例な長さにかかわらず、見ているものを飽きさせない。エンターテイメントとしてそつがないためだ。とにかく人をして夢中にさせる映画である。

ワイラーはこの映画の原作を、1920年代に一度サイレントで映画化している。それを1959年に再度取り上げたについては、よほどのこだわりがあったのだろう。そのこだわりは、おそらくワイラーのユダヤ人としての出自に根差しているのだと思う。この映画は、ローマ時代に迫害されたユダヤ人をテーマにしているのである。それに、キリストの登場を絡めている。ユダヤ人のワイラーがキリストにも敬意を払っているのは、欧米のキリスト教徒たちへのサービスだろう。

この映画は日本でも大変な評判になった。昭和天皇夫妻までが見たというくらいだ。側近に勧められて見たのか、あるいは自ら進んで見る気になったのか、その辺はよくわからない。

ワイラーの個人的なこだわりを別にすると、この映画がとりわけ強調して描いているのは、人間の復讐心である。子供の頃から仲のよかった友人から裏切られ、自分はガレー船の苦役を課せられ、母と妹を投獄されたユダヤ人ベン・ハーが、その友人に対して復讐をして怨みを晴らす。しかしその怨みも、キリストの愛の教えの前に和らぎ、最後にはベン・ハーも敵を愛することができるようになるという筋書きだ。

そうは言っても、映画の大部分はベン・ハーの怒りを画くことに費やされる。彼は信頼していた友人によってひどい目に合わされるが、それはユダヤ人であるベン・ハーとローマ人である友人メッサラとの避けがたい民族的な差別のせいだというようなメッセージが流される。しかし苦境にあったベン・ハーを救い出したのは、やはりローマ人だった。ベン・ハーが乗っていたローマの軍艦の艦長を救ったことがきっかけで、ローマの高官であるその男の養子となり、ユダヤに帰還したベン・ハーはメッサラへの復讐を試みる。その復讐と言うのが一風変わっていて、帝国主催の騎馬戦に勝利して、相手の鼻をあかしてやろうというのだ。命ではなく、名誉心をずたずたにすることで復讐を果たすと言うのは、なかなか面白い着眼点だ。

ともあれ、その騎馬戦の模様がこの映画の最大の見せ場となる。騎馬戦には属州の民族ごとに代表者が登場し、いわば民族対抗のような形になっている。だからそれに勝つことは、単に個人の名誉ばかりではなく、民族の名誉もかかっている。ローマ帝国のあらゆる人の前で、ユダヤ人とベン・ハーの名誉がたたえられる一方、打ち負かされたローマ人メッサラには死にもまさる屈辱となるわけである。

メッサラは戦車に汚い細工を施し、近寄った敵の戦車を破壊する行為に出るが、ベン・ハーはそれを乗り越え、逆にメッサラを窮地に陥れる。メッサラは自分の仕掛けたわなにはまって自爆するわけである。そんな友人に対して、ベン・ハーは勝ち誇ったりはしない。自分の名誉が回復されただけで十分なのだ。気になるのは、投獄されているはずの母と妹の境遇だ。その母と妹は、すでに死んだと聞かされていたのだったが、死に際の友人からまだ生きていて、業病の谷にいると知らされる。業病とはらい病、いまでいえばハンセン氏病のことだ。この病気はつい最近まで人々に忌み嫌われていたものだが、ローマ時代にはそれ以上だっただろう。

かくてベン・ハーは業病の谷で母と妹に再会し、相伴ってキリストに会いに行く。ところがキリストはピラトの裁きによって磔刑に処せられるところであった。十字架を背負ってゴルゴタの丘に引き立てられるキリストを、ベン・ハーは追い続ける。そして十字架にかけられたキリストを見届ける。

こんな具合にこの映画には要所でキリストにかかわる話が出て来る。映画の最初にはキリスト生誕の場面が出て来るし、大工の息子キリストが父の仕事を受け継ぐと言いながら、大工をせずに説教ばかりしていること、そしてキリストの迫害と復活といった具合である。復活は表立っては触れられず、母と妹の業病が治ると言う形で示される。

だからといって、この映画が新約聖書を踏まえたものとまでは言えないだろう。ベン・ハーとはあくまで仮想の人物であり、その仮想の人物とキリストとを仮想的に接触させているに過ぎない。聖書に書いていることをそのまま事実として信じている多くのアメリカ人にとっては、この映画は罪なことをしたのではないか。この映画を見たアメリカ人の大部分は、ベン・ハーを実在した人物だと思ったはずだから。なぜならアメリカ人にとってキリストと交わった人間が実在しなかったはずはないからだ。

ベン・ハーを演じたチャールトン・ヘストンが、マッチョな肉体美を感じさせる。まるで超人を思わせるような体力だ。ヘストンは歴史上の英雄とか宗教指導者を演じることが多かった。それはおそらくこのマッチョな肉体のおかげであったと思われる。



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