壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板


ウィリアム・ワイラー「友情ある説得」:
クェーカー教徒の信仰と南北戦争



ウィリアム・ワイラーの1956年の映画「友情ある説得(Friendly Persuasion)」は、アメリカのクェーカー教徒の信仰をテーマにした作品である。ユダヤ人のワイラーがなぜ、キリスト教の一派であるクェーカーにこだわる作品を作ったのか、詳しい事情はわからない。クェーカーは、同じプロテスタントでも、アメリカで主流派となるピューリタンとは異なるところがあり、また、信仰のあり方においても、独自の傾向をもつといわれる。また、聖書により忠実で、ユダヤ人に対して寛大でもある。そんなところが、ユダヤ人であるワイラーに親近感を持たせたのかもしれない。

舞台設定は1862年のインディアナ州南部の農村地帯。そこにクェーカー教徒の共同体がある。クェーカー教徒の最大の特徴は、平和主義と非暴力である。ところが、1862年は南北戦争が勃発して間もない頃で、北と南がしのぎを削りながら戦っていた。北に住んでいるクェーカー教徒にも、国家を守るために戦争に参加しろという圧力が強まる。その圧力を前に、個々のクェーカー教徒が煩悶する、というような内容である。

ゲーリー・クーパー演じるクェーカー教徒の農民とその家族が主人公である。クーパー自身信仰心あついクェーカー教徒であるが、妻のドロシー・マクガイアは、自身が牧師を務めるほどの、筋金入りのクェーカー教徒である。彼らには子供が三人いて、家族の中がよい。この時代のアメリカの開拓地では、家族の中がよくなければ、生き残ることはできなかった。夫は妻を大事にし、妻は家族を大事にしてこそ、家族の安定が保たれるのである。

映画の前半では、そんな家族の仲のよさが淡々と描かれる。日常の単調さをやぶる事件といえば、隣人との間で馬車の競争をしてみたり、父親が長男をつれて行商にでかけたり、あるいは定期市の場で憂さ晴らしをするくらいである。そんななかで、長女と隣家の息子との間に愛がはぐくまれる。

後半は、侵攻してくる南軍と直接向き合う場面が中心だ。インディアナの南部は、南北の境界に近いので、南軍の侵攻がまず始まるところなのだ。その侵攻を前に、一家の長男は北軍のために戦う道を選び、大敵との戦いで負傷する。父親のクーパーは、当初は非戦の立場をとっていたが、息子らが南軍に敗れたという報に接し、戦場にかけつける。そこで南軍の兵士のために命を危険にさらされるのであるが、しかし自分で相手の兵士を直接殺すことはしなかった。そのことで、国民としての義務感とクェーカー教徒としての信仰をなんとか調和させるのだ。

こんなわけで、この映画は、キリスト教の信仰を無条件の前提としているので、非キリスト教徒には馴染めないところがあるかもしれない。




HOMEアメリカ映画ウィリアム・ワイラー次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである