壺齋散人の 映画探検
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クレーマー、クレーマー(Kramer vs. Kramer):ロバート・ベントン



「クレーマー、クレーマー(Kramer vs. Kramer)」は、離婚大国アメリカでの、子供の親権をめぐる争いをテーマにした映画である。世界的な反響を呼び、日本でも評判になった。というのも、この映画が公開された1979年当時は、日本でもようやく離婚が小さからぬ社会問題となってきていたからである。アメリカ人ほどではないが、日本人のなかでも離婚を経験するものが増えてきていた。離婚した夫婦に子供がいれば、当然親権をめぐる問題が生じてくるわけで、この映画を見た当時の日本人も、今すぐと言うわけではないが、いつか経験することになるかもしれない、離婚とそれに伴う子供の親権の問題について、この映画を通じて考えさせられるところがあったに違いない。

この映画の面白いところは、結婚生活に幻滅した妻のほうが、子供を捨てるような形で一方的に出ていってしまったあと、18ヵ月後に子供の親権の復活を求めて訴訟を起こしたという点である。その18ヶ月の間、夫のほうは必死の思いで子育てをする。仕事と育児を両立させるのが難しいのはアメリカも同じのようで、夫は育児を優先することで仕事を失うような羽目にもなる。だが、子供との絆が彼の生きる希望を奮い立たせてくれる。今や生きることは戦うことでもあり、その戦いにおいて子供は戦友のような位置づけになる。父親も子供も、次第に強固な絆を築いていくのだ。

ところが、18ヵ月後に、自分から出て行った妻が子供を取り返しに来る。夫はそこに理不尽さを感じると共に、強い絆に結ばれた子供を失いたくないと、それこそ必死な気持ちになる。弁護士を雇って訴訟に臨むが、結局子供は母親のもとに行くべきだとの判決が下される。夫のほうは、子育てに男女の性別による差はないと訴えるのだが、当時のアメリカ社会でも、子は基本的に母親と一緒にいるのが自然なのだという考え方が根強かったのだ。

その訴訟のプロセスが一つの見ものだ。訴えたほうの妻が原告となり、訴えられた夫が被告となる。まず原告側の弁護士から訴追の趣旨が主張され、それを補強するための尋問と弁護側による反対尋問がある。その後攻守ところを変え、被告側弁護士による防御の主張とそれにつづく尋問及び反対尋問がある。これが訴訟の本体部分で、これに付随して証拠補強のための証人尋問が行われる。それらを通じて見えてくるのは、訴訟のプロセスは酷く形式的だということだ。尋問への応えはイエスかノーで行われる。物事と言うものはイエスかノーのどちらかに区分けできるようなものではないと思うのだが、法廷内では余計な注釈はそれこそ余分なことなのだ。ということは、個人的な微妙な事情はほとんど考慮されないということだ。

こうして訴訟では妻に破れ、子供を引き綿なければならなくなる。その引渡しの日、子供は父親と別れることに深い悲しみの表情を見せる。だが裁判で決まったことには従わなければならないといって、父親は子供を慰める。そこへ妻がやってくるのだが、どういうわけか彼女は、子供を父親の元にそのまま残してやろうと決意するのだ。

そんなわけで映画は一応ハッピーエンドになっている。もしも父親が子供と引き離される形で終わったら、この映画には救いがないと言えるだろう。

父親を演じたダスティン・ホフマンは、日本では「卒業」の大学生役で人気が出た。「卒業」のホフマンは若々しく見えたが、この映画の中のホフマンは中年男の渋さを感じさせる。母親を演じたメリル・ストリープは、いまひとつぱっとしない感じだが、その後「鉄の女」サッチャーを演じて貫禄を見せた。





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