壺齋散人の 映画探検
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恋におちたシェイクスピア:ジョン・マッデン



シェイクスピアは、巨大な名声のわりに実生活に不明な部分が多いので、とかく作家たちの想像力を刺激してきた。映画作家の場合もその例外ではなく、シェイクスピアの「実生活」に題材をとった作品が多く作られてきた。1995年の映画「恋におちたシェイクスピア」は、そうしたシェイクスピア物の中でも、最も優れた部類に入る。

この作品は、シェイクスピアが「ロメオとジュリエット」をいかにして作りあげたか、という作品の成立過程をテーマにしたものである。映画の中のシェイクスピアは、まだ駆け出しの劇作家ということになっており、「ロメオとジュリエット」の成功によって一躍脚光を浴びるという設定である。その大事な作品をシェイクピアは、想像力だけを頼りにデスクの上で完成させたのではなく、自分の体験をもとに作り上げた。それも、若い女性との熱烈な恋愛がインスピレーションのもとになっている。若いシェイクスピアは、この女性との恋のやりとりをそのまま劇の形に描くことで、「ロメオとジュリエット」を完成させた。だからこの作品はシェイクスピアの青春そのものなのだ、というようなメッセージが伝わってくる。

実際のシェイクスピアは、「ロメオとジュリエット」を書いた頃には、既に一流の劇作家としての名声を確立していた。「ヘンリー六世」をはじめとする一連の歴史劇を書き上げていたし、「じゃじゃ馬馴らし」などで喜劇作家としても人気があった。ただ悲劇については、この「ロメオとジュリエット」が実質的な出世作である。映画の中では、エリザベス女王が出てきて、喜劇を見るのが好きだといっているが、実際のエリザベス女王も、シェイクスピアの喜劇、とくにフォールスタッフものが大好きだった。もっともシェイクスピアがフォールスタッフものを書くのは、「ロメオとジュリエット」以後のことではあるが。

この映画のミソは、シェイクスピアとその相手ヴァイオラとの恋が、ロメオとジュリエットの恋と重なっていることである。「ロメオとジュリエット」の様々な場面がそのまま、シェイクスピアとヴァイオラとの恋の場面にスライドしている。たとえば、男がバルコニーの下で「鳥になりたい」とため息をつくところや、ベッドで朝を迎えた二人がナイチンゲールと鶯についておしゃべりする場面などだ。乳母が二人の恋路の案内役になるところも同じだ。

ロメオと同じように、シェイクスピアもヴァイオラと幸福な結婚は出来ない。というのも彼は既に結婚しており、子供もいるからだ。そんな彼が若い女性に夢中になり、ロメオ張りに恋のアドヴェンチャーを楽しむ。そのアドヴェンチャーがこの映画の筋書きにもなり、また「ロメオとジュリエット」の筋書きにもなっているという、粋な計らいがこの映画を面白いものにしている。

この映画のもうひとつの見所は、シェイクスピアの時代(17世紀初頭)におけるロンドンの風俗描写だ。人々の服装やストリートの様子など、どれほど時代考証に支えられたものなのかよく判断できぬが、見ていてなかなか面白い。テムズ川を沢山の小船が行きかうところなどは、徳川時代の江戸や京都同様、水上交通が都市生活に果たしていた意義を感じさせる。

映画では、劇場が二つ出てくる。一つはテムズ川北岸のカーテン座、もひとつはその対岸のローズ座だ。「ロメオとジュリエット」が上演されたときにはグローブ座は既に存在していたはずだが、映画ではグローブ座への言及はない。俳優がすべて男である点は、徳川時代以降の日本の歌舞伎と同じだ。女役は声変わりする前の少年が演じていたということになっている。

映画では、女であるヴァイオラが、トマス・ケントという名の男の俳優としてロメオの役を演じるというややこしい設定になっている。もっとも最後の土壇場になって、彼女は急遽ジュリエットを演じることになって、これも急遽ロメオを演じることになったシェイクスピアと、舞台の上で愛を交すことになる。しかし愛を交し合えるのは舞台の上だけでのこと。シェイクスピアとヴァイオラは結ばれることはない。ヴァイオラは結婚したばかりの夫とともに北米ヴァージニアへ船で旅立ってしまうのだ。

ここでまた一つ洒落た工夫が加わる。船出するヴァイオラが、自分がこれから遭遇するだろうことを劇にして欲しいとシェイクスピアに望むのだ。私はこれから新天地に行きます、そこで私が経験するだろうことを是非劇にして欲しい、と。シェイクスピアはその望みに応えて一遍の喜劇を書くだろう。それはヴァイオラという名の女性を主人公にしたもので、彼女の新世界での冒険をテーマにしたものになるだろう。それこそシェイクスピア最高の喜劇といわれる「十二夜」のことなのである。

こんなわけでこの映画は、色々な仕掛けがあって面白い。知的な興奮まで掻き立ててくれる稀有な作品だ。





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