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アメリカ映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」:9.11に父親を失った少年



アメリカ映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(Extremely Loud and Incredibly Close)」を見た。9.11に父親を失った少年の癒しがたい心の傷を描いた作品だ。

少年は対人関係が苦手で、それを心配した父親の愛情に固着して生きていたのだが、その固着すべき存在が突然消えてしまった。文字どおり、遺体も残さずに消えてしまったのだ。

父親の葬儀で空の柩が埋められるのを、少年は我慢ができない。母親も含めた世の中全体に我慢ができないばかりか、自分自身にさえ我慢ができない。それほど心の奥底深く、少年は大きな傷を受けてしまったのだ。父親を突然、しかも理不尽に失ったことで。

この物語はだから、心の傷がうずき続ける少年の深い苦しみと、そこから抜け出るきっかけをつかもうとして、あえぎながら探索を続ける心の旅を描いたものなのだ。

少年は父親が死んで1年たったときに、初めて父親の遺品を覗いてみた。父親のクローゼットの中で、誤って落として割った花瓶の中から一本のカギが出てきた。少年はそのカギとあう鍵穴が見つかれば、もしかして父親につながる貴重な宝物が出てくるのではないか、と子どもながらに空想する。そしてその空想を実現するために、カギと合う鍵穴を探すことにする。こうして少年の探求の毎日が始まる。

少年は、カギの入っていた袋にBLACKと書かれていたことから、それが人の名前に違いないと思い、電話帳でBLACKという人を当ってみた。BLACK姓の人はニューヨークに400人以上いた。少年はその一人一人を探し出し、面会する決意をした。

少年はニューヨークの端から端まで一人で歩きながら、一人一人のBLACKさんと面会をし、父親のことを何か知っていないか、と尋ね続ける。多くのBLACKさんは親切に少年に接してくれた。そして少年に同情し、自分の悲しみも語ってくれた。つまり悲しみを共有しようとしてくれた。

途中から、祖母のアパートに間借りしている不思議な老人が、少年と一緒に探索してくれるようになった。少年はそのうちに、この老人の仕草が自分の父親とそっくりなことに気づき、もしかしたら、自分のおじいちゃんではないかと思い始める。

結局一番初めに会っていた女の人が、そのBKACKさんの手掛かりを知っていたのだった。少年はその女の人の導きで、BLACKさんと会い、カギの由縁を聞くことができた。それはBLACKさんと彼の父親との絆となるものではあったが、少年の父親とは係わりのないことが明らかになった。少年の父親はBLACKさんから、そのカギの入った花瓶を買っただけなのだった。

しかし少年は、この探索が無駄になったとは思わなかった。多くの人と出会い、人が生きることとは何なのか考えさせられたし、おじいちゃんとも出会えた。

母親との間に少年は、どうしてかはわからないが、わだかまりのような感情を抱いていた。9.11のあの日に、パパではなく、ママがそこにいればよかったんだと、ひどいことを言ったりする。しかしママはそんな息子をしっかりと受け止めてくれる。そればかりではない、少年が夢中になっていることがなにか、それを自分なりに調べて、少年の知らない間に、少年が会おうとしている人たちと接触していた。

そのことを知って、少年はやっと、自分一人だけが苦しんでいるのではない、と理解する。

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(Extremely Loud and Incredibly Close)」とは、少年が母親にあてたプレゼントのタイトルだ。なにがうるさくて、なにが近いのか、それは観客一人ひとりが想像する以外にない。

少年は自分と会ってくれたすべての人々にお礼の手紙を書き、おじいちゃんには戻ってきてほしいと書いた。少年はたとえ愛する父親を失ったとしても、世界中で自分が一人ぽっちではないんだということを、初めて納得するのだ。

この映画は、そんな少年の心の軌跡を淡々と追跡していく。そこには余計なメッセージはほとんどない。少年の表情と行動とがむき出しのかたちで表出されているだけだ。だがそれは言葉以上に雄弁なように思えた。

ラスト・シーンは少年がブランコをこぐ場面だ。少年は父親の前ではブランコをこぐことができなかった。怖かったからだ。でも今はできる。それは、父親がいなくても、きっと生きていけるのだ、ということのあかしのようにもうけとれる。

主人公の少年を演じたトーマス・ホーン(Thomas Horn)は、出演中は14歳の中学生だったそうだ。



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