壺齋散人の 映画探検
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D・W・グリフィス「国民の創生」:南北戦争と黒人蔑視



D・W・グリフィスが1915年に作った「国民の創生(The birth of a nation)」は、世界の映画史上特筆されるものだ。それは主に映画編集の技術上の進歩に貢献したという理由からである。グリフィスはこの映画の中で、クロスカッティング、クローズアップ、カットバックといた多彩な技術を駆使することで、従来の映画には見られなかったダイナミックな映画作りに多大な影響を及ぼした。そのためにグリフィスはアメリカ映画の父と呼ばれる光栄に浴している。

だが、映画の内容には疑問が多い。この映画は、19世紀半ばのアメリカ南北戦争を舞台にして、白人至上主義と露骨な黒人蔑視を盛り込んだ人種差別映画なのである。黒人のためにアメリカは一旦は分断されたが、南北の白人が共同して黒人の無法を打ち破り、白人が中心になった正しいアメリカを取り戻した、というような内容の映画である。題名の「国民の創生」とは、白人による新しいアメリカの再建ということを意味しているわけである。

前後二編からなる。前編では、黒人のためにアメリカが南北に分断され、白人が互いに争いあった結果、悲惨な南北戦争が起きた。それは黒人を奴隷とした白人のせいではなく、白人を互いに反目させた黒人のせいだというような視点が貫かれている。

後編では、開放された黒人が、権利を乱用して白人を迫害し、アメリカを暗黒の地に陥れたが、白人たちの中から黒人の暴虐に反抗する人々が立ち上がり、KKKと呼ばれる結社を作って黒人に対抗した。その結果アメリカは再び白人を中心とした正義の栄える国になった。そんな視点で貫かれている。その視点は、黒人を悪魔の生き物とし、彼らを懲らしめるKKKを正義の味方とするもので、上映当時から一部の心ある人々からの批判もあったが、圧倒的な数のアメリカ人は、これを歓喜して受け止めたという。

圧倒的な数のアメリカ人がこの映画を喜んだのには、それなりの根拠があった。1915年といえば、アメリカはまだ開拓精神が横溢していた頃で、白人中心主義的なイデオロギーが支配していた。そういうイデオロギーが、自分たちは外部からやって来た侵略者であるにかかわらず、原住民のインディアンを悪魔と決め付けて、彼らを退治する映画を夥しく作り、全米で拍手喝采したこととつながっている。黒人はインディアンほど敵対的に見られてはいないが、自由な黒人が権利を主張することについては、白人たちは我慢がならなかった。この映画はそういう白人たちの自己中心的な思い上がりによって作られているといってもよい。

筆者のようにアメリカの黒人に偏見を持たないものから見れば、とにかくひどい映画である。黒人を悪魔として描くのは無論、KKKのようなレーシストたちを英雄視するのはもっとひどい。映画の中の黒人たちのほとんどは、白人俳優が肌を黒く塗って演じていたが、これなどは観客を馬鹿にしたものだといってよい。黒人に対する白人の侮蔑感情を、白人が自ら黒人を演じることを通じて表出しているわけだが、これなどは幼児的な反応というべきである。

映画の最後に、キリストがKKKの集団の中に出現する場面が出てくるが、これは、キリストは白人だけのために存在するといっているわけだ。黒人にも当然キリスト教徒はいるわけだが、この映画の中の白人たちには、黒人がキリストを信じるなど馬鹿げたことだというわけである。

グリフィスはケンタッキーの出身ということだが、ケンタッキーというのは黒人への人種差別がどこよりもひどかったのか、それともグリフィス自身が異常なパーソナリティだったのか、そんなことを考えさせられる。



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