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2001年宇宙の旅(A Space Odyssey):スタンリー・キューブリック



アメリカ映画「2001年年宇宙の旅(A Space Odyssey)」は、宇宙を舞台にしたSF映画の古典である。未だに人気があるというから映画としては非常に長い生命を保っていることになる。人類の夢を物語っているからだろう。

作られたのは1968年で、そこから約30年後の近未来の宇宙開発の姿をテーマにしている。21世紀の現在からみればかなり先走った空想と映るが、公開当時の人々には非常にショッキングに映っただろうし、また今見ても色あせていない部分もある。そこが長い人気の秘密だろう。

2001年の人類は、月との間を日常的に往復できるようになっているし、木星にも一年ほどで往復できる。この映画は月で異常を察知した人類が、その謎を解明すべく木星に探査に趣くというのが基本プロットだ。それに付随して人類の祖先である猿人が道具を発明することで現生人類に向かっての進化を一歩踏み出すところとか、月に謎の物体が発見されるところが紹介される。しかし主題はあくまでも木星への宇宙探検旅行である。

この探査宇宙船には現に生きている人間が二人と、低温状態で冬眠している三人の人間が乗っている。生きている二人は宇宙船を操作しており、冬眠している人間は木星に着いたら冬眠から目覚めて現地での調査に従事することになっている。

このほかにコンピューターが登場する。宇宙船の捜査行動はこのコンピューターが実質的に担当しているのだ。いまでいうAIである。このAIが高度な知能を誇り、それに加えて感情まで持っていることになっている。限りなく人間に近い。固有の名前まで持っている。このAIが、あることがきっかけで、人間のクルーに敵意を抱くようになる。いままでこのAIによって宇宙船が動いていたわけだから、それに敵意を持たれて仕事をサボタージュされると、人間は深刻な危機に直面するわけだ。

結局AIの攻撃によって、生きているクルーのうちの一人は宇宙の彼方に放り出され、冬眠中の人間たちは生命を奪われる。一人だけ生き残ったクルーは、AIの機能を停止させ(あるいは殺害し)、引き続き木星への探査旅行を続け、ついに木星に到達してミッションを達成するが、どうやら地球へ戻ることなく、木星で別の進化を遂げるということになっているらしい。

というわけでこの映画の最大の見どころは高度のAIを備えたコンピューター・ロボットが人間に反逆するということにある。AIによる人間への反逆と言うことについては、かつてホーキング博士がその可能性を指摘して、忠告していた。人工知能を無制限に発展させると、ある時点で自己プログラミングを始めるようになり、ロボットが自立した進化をするようになる。そうなるとその進化を止めるものは何もない。人間には自然の制約というものがあるが、ロボットにはそれがない。したがって身体的能力も知能も無制約に進化し、人間の敵ではなくなるだろう。そうなると人間はロボットによって駆除されたり奴隷化されたりするかもしれない。そうなっては遅いので、人間はAIの進化について最大限慎重であるべきだ。そうホーキング博士は警告していた。

この映画はその警告を想起させる。宇宙空間においてAIロボットが人間に反逆し、そのことで人間が深刻な危機に陥るわけだから、まさにホーキング博士が警告していたことが起きるわけだ。ホーキング博士の警告が先か、この映画の公開が先か、筆者にはよくわからないが、問題としては非常に深刻であることはわかる。

そんなこともあってこの映画には、多くの見どころと考えさせられるところがある。なお月に人間が移住するとか、木星がガス体ではなく個体の惑星でかつ水まで存在することになっているが、これは愛嬌だろう。




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