壺齋散人の 映画探検
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ジェリー・シャッツバーグ「スケアクロウ」:奇妙な二人組のロードムーヴィー



「スケアクロウ( Scarecrow )」は、世の中からドロップアウトした二人の男の奇妙な友情を描いた映画だ。二人のうちの一人は刑務所を出たばかりで、預金の口座があるピッツバーグで人生のやり直しをしようと思っている。もう一人は、妻子を棄てて放浪していたが、五年ぶりに会いたくなって、妻子のいるデトロイトまで帰ろうと思っている。その二人が旅先で偶然出会って、行動を共にするようになり、さまざまな波乱を起こしながらついにデトロイトまでたどりつくと、そこには思いがけない事態が待ち受けていた、というものだ。

男たちの旅を描いているという点では一種のロード・ムーヴィーともいえるし、家族の絆のもろさとか、世の中の生きにくさを描いているという点では、ある種の社会派映画といえなくもない。だからこの映画がアメリカン・ニューシネマの傑作とされることには、一定の理由があるといえよう。

だが、そんな理屈付けを抜きにして、この映画が素晴らしいのは、ジーン・ハックマンとアル・パチーノの二人が演じる男同士の友情が観客にストレートに伝わるからだろう。ハックマン演じるマックスは、人間が信じられなくなっているが、アル・パチーノ演じるライオンには信頼を感じることができた。マックスはそのライオンと共に、ピッツバーグまで行って、そこの銀行で預金を下ろし、それを元手に商売をしたいと考えている。その商売とはカー・ウォッシュだ。なぜピッツバーグにこだわるのか。そこの銀行に口座があるからだ。というわけで、マックスの動機にはあまり必然性がないのだが、彼にはすこし足りないところがあって、自分の置かれている境遇から大きく脱することができないのだ。

旅の途中で二人は様々なトラブルを巻き起こす。一番大きなトラブルは、マックスの妹の家を訪ねたときに起る。妹の家のある街で大喧嘩をしたおかげで、労働刑務所に一ヶ月間放り込まれてしまうのだ。その刑務所には牢名主のような男が居て、ライオンはその男から性的関係を迫られる。性欲の捌け口に困っているからお前のケツを掘らせろと迫られるのだ。ライオンがケツを掘られるのは嫌だとことわると、ペニスを露出させてこれをしゃぶれと迫られる。ペニスを口の中に突っ込まれたライオンはそのペニスに噛み付く。すると怒り狂った牢名主にライオンはボコボコにされてしまうのだ。

マックスは、刑務所に放り込まれたのはライオンのせいだと思って、ライオンに冷たくあたっていたのだが、ボコボコにされたライオンを見て、にわかに友情に目覚める。こうして再び仲良くなった二人は、貨物列車を乗り継いでいよいよデトロイトまでやってくる。しかしそこでライオンを待っていたのは過酷な現実だった。五年前に別れた妻は他の男と結婚しており、ライオンが会うのを心待ちにしていた子供はすでに死んでしまったと告げられる。その情報に動転したライオンは、ついに気がおかしくなってしまう。そんなライオンを見たマックスはどうしてよいかわからない。そこでとりあえず金を作ろうと思って、ピッツバーグまで行くことに決める。映画は、マックスが航空会社のカウンターでピッツバーグ行きの往復航空券を買い求めるシーンで終わるのである。

マックスがピッツバーグにこだわるのは、そこの銀行に預金口座があるためだが、その預金がピッツバーグに行かなければ下ろせないという理屈は映画からは伝わってこない。おそらくマックスがそう思い込んでいるだけなのだろう。彼にはかなり足りないところがあるのだ。その足りないところをライオンがからかう。たとえば、かかしは烏を追う払う為にあるものだとマックスは思い込んでいるが、そうではなくかかしは烏に笑われるためにあるのだとライオンは言う。また、お前はこわもての姿勢で世の中を驚かしているが、ほんとに大事なのは世の中を笑わすことなのだ、ともいう。この言葉に感心したマックスは、腹を立てそうになったときに、自分から道化役を演じて周囲を大笑いさせ、そのことで喧嘩せずにすますことができた。だからマックスはそれなりに成長したともいえる。映画の題名の「スケアクロウ」は、そんなところから来ているのだろう。

マックスを演じたジーン・ハックマンはすさまじい迫力を感じさせる。「フレンチ・コネクション」でのタフな刑事役もすごかったが、この映画では智恵の足りない男のむき出しの暴力をすさまじい迫力で演じている。それでいてやさしさも感じさせる。マックスがライオンを好きになった理由は、ライオンがマッチの最後の一本を自分のために使ってくれたことにあるのだったが、そんななにげないところを通じて、やさしさを感じさせるというのは、小粋なことといえよう。

ライオンの気がおかしくなってしまったのは、妻子に棄てられたからだ。ライオンには、もしかしたら妻子に会ってもらえないのではないかという予感はあった。だから妻子の住んでいるデトロイトまでやってきて、有無を言わさず面会を求めるつもりでいた。ところがいざデトロイトまで来て見ると、いきなり押しかけるのではなく、電話でワンクッション置こうと気が変る。その結果は、予感していたとおりになった。ではあるが、それはあまりにも過酷なことだった。ライオンはそれに直面することができず、精神錯乱の状態に逃避してしまうのである。そんなライオンに向かってマックスは呼びかける。「俺たちは一心同体だ、約束しただろう」と。

この映画は何よりも、男同士の熱い友情を感じさせてくれる。



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