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タクシー・ドライバー(Taxi Driver):マーティン・スコセッシ



マーティン・スコセッシの「タクシー・ドライバー」は不思議な映画である。タクシーの運転手といえば、普通人の目には退屈な下積み仕事という印象にうつるが、当事者にしてみれば、結構変化に富んだ仕事であるらしい。単に客を目的地に運ぶだけではなく、客とのさまざまなやり取りを通じて社会の情勢にも敏感になるし、時には社会に対して鋭い批判意識を持つようにもなる。そればかりではない、運転手によっては、そうした批判意識を実現しようとする者も現れる。この映画のなかのタクシー・ドライバーもそうした一人だ。彼はタクシーの運転という自分の仕事を通じて、社会に対する鋭い批判意識に目覚め、それを実現する為にすさまじいエネルギーを傾注する。その結果どんな事件が巻き起こるか、この映画はそうしたどきどきさせるようなストーリー展開からなっている。タクシー・ドライバーもなかなか棄てた商売ではない、そんなふうに観客に思わせるわけである。

ロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィスは、ベトナム帰りの元海兵隊員だが、不眠症に悩んでタクシーの夜間運転手になる。もともと社会に対して批判的な意識を持っていたのだろう、ドライバーとして社会の底辺を見ているうちに、次第にその批判意識が高まり、世の中の腐った部分を掃除してやろうという気分になる。そんな彼の前に、やくざに売春をさせられている少女が現れる。その少女の境遇に同情した彼は、保護者になったつもりで少女を逆境から救い出そうとする。その挙句に、少女のヒモや少女を買った客、売春宿の亭主などを次々と射殺する。これはどうみても殺人としかいいようがないのだが、どういうわけかトラヴィスは殺人犯としては扱われず、少女を悪党たちから救った英雄としてたたえられるのだ。

日本人の目にはとんでもないストーリー展開だ。どんな事情があるにせよ、人を殺せば殺人罪に問われるのが当然というのが大方の日本人の考え方だと思うのだが、アメリカ人はどうもそうではないらしい。正義のためならば、悪人を殺すのも認められる、そう考えているようだ。実際トラヴィスは、悪人から少女を救い出したヒーローとしてたたえられるのである。こんなわけでこの映画は、すくなくとも大方の日本人にとっては、カルチャーショックをもたらすものと言える。

この少女救出の場面以外にも、トラヴィスの正義へのこだわりがいたるところに現れている。彼は、パランタインという大統領候補者に惹かれるが、それは好きになった女がその候補者の選挙運動員であったという偶然も働いているが、世の中の不条理を正そうというその候補者の主張に共鳴したということもある。つまり彼の正義の感情がパランタインに共感を覚えさせたという具合に描写されているわけだ。

こんなふうにいうと、トラヴィスは偏見から自由な目で社会を見ているようにもうつるが、必ずしもそうではない。彼はニューヨークのスラム街を流しているうちに、とことんあきれ果ててしまい、なんとかしてこういうゴミためのような部分を掃除してやろうと考えるようになるのだが、そうしたスラム街というのは、主に黒人が闊歩している街なのだ。だから彼のスラム街への反感は、黒人への侮蔑の感情と表裏一体となっている。彼はたまたまコンビニで強盗を働こうとした黒人を射殺するのだが、そういう場面での彼の振舞は、黒人への侮蔑で満たされているといった観を呈している。この部分に限らずこの映画には、黒人や貧しい白人への侮蔑が充満しているように映る。

トラヴィスが同情をよせた少女をジョディ・フォスターが演じている。彼女は後に「羊たちの沈黙」で主人公の女性を演じて大いにブレイクするが、この映画に出た時点ではまだ十三歳だった。子供と言ってよい。その子供が一人前の売春婦を演じている。アメリカという国は、十三歳の子供でも堂々と売春をするらしい。恐ろしい国だ。

十三歳の子供では、トラヴィスも性的な感情を抱くわけにはいかない。彼が性的な感情を抱くのは成熟した女だ。とりあえず彼はパランタインの選挙運動員をしているベッツィーという女性にアタックするのだが、いつもの癖で彼女をポルノ映画につきあわせて、彼女の激怒を買ってしまう。女にポルノ映画を見せることがどんなことを意味するのか、トラヴィスにはよくわかっていないのだ。

トラヴィスが突然招命の感情に満たされるところが面白く描かれている。彼は社会の腐った部分を掃除するために、自ら十字軍の兵士たらんと決意するのだ。それのみならず、マグナムの44口径はじめ拳銃を四丁も仕入れて、来るべき悪人退治にむけて猛特訓をする。彼が悪人どもを撃ち殺して少女を救ったのは、そのすばらしい成果だったわけである。

日本の映画でタクシー・ドライバーをテーマにしたものとしては、「月はどっちに出ている」があげられるが、これは「タクシー・ドライバー」より15年以上もあとに作られた映画だし、主人公を在日コリアンにして、民族差別のようなものを強調していた。その点では社会的な批判意識が盛られているわけだが、その批判意識は社会に向かって発散されることはない。主人公の内面に向かって鬱積するばかりだと言ってよい。それと比べるとこの「タクシードライバー」は、一タクシー運転手の社会への怒りが爆発するところを劇的なタッチで描かれている。我々はそこに日米の文化差を如実に感じさせられるわけだ。





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