壺齋散人の 映画探検
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スティング(The Sting):ジョージ・ロイ・ヒル



「スティング(The Sting)」は、70年代に大いにヒットし、日本でも話題になった映画だ。その主題歌は今でもテレビCMのバックグラウンド・ミュージックとして流れている。主題歌が長い寿命を持っている点では「第三の男」と似ているわけだが、「第三の男」は映画史上の傑作として今でも親しまれているのに対して、「スティング」のほうはそれほど注目されていないのが実情だ。筆者はこれを、映画ファンの一人として、残念なことだと思う。この映画はいろいろな意味で傑作と言えると思うからだ。その理由の最たるものとして筆者があげたいのは、この映画ほどアメリカの本音を正直に描き出したものはないということである。

アメリカという国は結果オーライを国是とする国だ。結果が良ければ、プロセスに多少の瑕疵があっても大目に見られる。またその結果は、アメリカ社会のどのような部面でも追及することができる。財界に入って金を儲けるのもよいし、政治家になって名声を獲得するのもよいし、スポーツ選手になって拍手喝さいを浴びるのもよい。チャンスはどこにでも転がっている。そのチャンスを生かして成功した人間は尊敬に値するのだ。これはどんな場合にも公平に当てはまる。ギャングだって例外ではない。アル・カポネはたしかに悪い奴だったが、ギャングの世界では大成功を収めた。その点では尊敬に値する。実際いまでもアル・カポネを高く評価するアメリカ人は多いのである。

「スティング(The Sting)」が扱っているのは詐欺師の世界である。アメリカという国は、人工的に作られた国で、ヨーロッパ世界からあぶれた人間たちの吹き溜まりという性格もあって、人間関係がドライである。そういう土壌には詐欺師が栄える。というわけでこの映画は、単に詐欺師たちの手並みを描き出すばかりでなく、アメリカという国がいかに詐欺に寛容であるか、についての社会学的・民俗学的な分析も行っている。人はこの映画を見れば、アメリカ社会のリアルな一面に接することができるに違いないのだ。

詐欺は壮大な実験芸術である、ということがこの映画からはひしひしと伝わってくる。この映画の中で展開される詐欺は、「有線」という名称の詐欺で、私設馬券売り場を装った博打がらみの詐欺である。であるから仕掛けが大規模だ。馬券売り場をそれらしく見せかけるために、大袈裟な会場設定がなされるし、従業員や客を装った夥しい数の人間を動員する。なみの詐欺ではないのだ。その詐欺が標的にするのは、アメリカの暗黒街の顔役だ。つまりギャングのボスである。そいつを騙そうというのだから、命がけである。その命がけの詐欺、それは自分の命を懸けた博打と言ってもよいが、その大博打を勝ち抜く。これほど痛快なことはない。芸術わざと言ってもよい。それゆえアメリカ人の価値観からすれば、この映画が描き出した詐欺師の成功も、アメリカンドリームの典型例の一つなのだ。

その詐欺師の英雄をポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコンビが演じている。この二人は「明日に向かって撃て」でも共演していたが、その映画を作ったジョージ・ロイ・ヒルがこの映画の監督も勤めた。コメディ・タッチのアクション映画というのが両者に共通した特徴だ。この映画の中でも、軽快な主題歌に乗って、詐欺師たちが縦横無尽に駆け回り、自分たちの命を懸けて意地を通してゆく。意地と言えば日本人の専売特許と思いがちだが、アメリカ人にも意地を通す奴がいる、ということをこの映画は納得させてくれる。実際この映画の中の詐欺師たちは、金を儲けることが最大の目標ではなく、仲間を殺されたことに相応の復讐をすることなのだ。それも彼らなりの流儀で。彼らはギャンクではないから、相手を殺したりはしない。相手を騙すことによって鼻をあかしてやることが殺された仲間への手向けの花なのだ。

筋書きが巧妙にできている。あまり巧妙すぎて、見ている観客までが騙されるありさまだ。実際この映画のなかには、どんでん返しがいくつか仕組まれている。ロバート・レッドフォードを助けた女の正体が実は彼を付け狙うヒットマンだったり、そのロバート・レッドフォードがFBIを名乗る連中に買収され、ポール・ニューマンを裏切り、その結果とんでもない結末になったと観客に思わせたところで、実はそれも詐欺師たちが示し合わせて仕組んだトリックだとわからせるところなど、小憎らしい仕掛けがなされている。

FBIの連中は、目的のためにはプロセスに多少の瑕疵があっても許されるといわんばかりに、けっこう荒っぽく振る舞う。FBIに比べれば、ロバート・レッドフォードを付け狙う地周りの刑事は金に目のないチンピラとして描かれている。アメリカの社会では、警察組織は市民を守るためにあるのではなく、警官たちを養うためにあるということがこの映画からはストレートに伝わってくる。そんなわけだから警察官には法を守るという意識は全くない。警察といえども職業であるし、警察官が職務を通じて金儲けをすることは当たり前のことなのだ。だから自分の金儲けの邪魔をする奴は許せない。実際この映画の中でロバート・レッドフォードを付け狙う刑事は、賄賂に贋金をつかまされたことに私憤を感じているのである。

こういう具合でこの映画は、アクション映画としても楽しめるし、社会派の正義ドラマとしても勉強になる。




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