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ウディ・アレン「ハンナとその姉妹」:男女のシティライフ



「ハンナとその姉妹(Hannah and her sisters)」は、「アニー・ホール」とともにウディ・アレンの代表作といってよい。どちらも、ニューヨークを舞台にしてアメリカ人のシティ・ライフを描いている。「アニー・ホール」では、アニー・ホールという名の女性とウディ・アレンとの、セックスを中心とした都会人の男女関係のあり方が描かれてきたが、「ハンナ」では、ハンナとその二人の妹たちを囲んで、いくつかのパターンの男女関係が描かれる。人間の生きざま、すくなくともニューヨークに生きている成年男女の生きざまは、究極的には男女関係に集約されるというのが、この映画の基本的なコンセプトである。

ハンナ、ホリー、リーの三人姉妹がこの映画の主人公たちだ。ハンナ(ミア・ファーロウ)は、ウディ・アレンと結婚していたが、今は別の男と結婚し、四人の子どももいる。ウディとハンナが別れた理由は明らかにされないが、もしかしたらウディの種無しが理由だったかもしれないと匂わせている。ハンナは子どもが欲しいのに、ウディの子は生めない。そんなウディをハンナは、マスターベーションのやりすぎで精液がなくなったのよ、と言って責めるのだ。

そこで彼らは、友人の夫婦に相談して、その夫の精子を提供してもらい、人工授精の結果双子を生んだ。その後彼女は、更に二人の子に恵まれたが、その子がどういう経緯で生まれてきたかは、映画からは判らない。面白いことにハンナは、もう一人、今の夫の子を生みたいと思っている。しかし夫はイエスと言わない。

その理由は二つあった。一つは、四人でも大変なのに、これ以上子どもを育てられないということ、もう一つは、ハンナの妹のリーに惚れていることだ。夫はリーとセックスしたくてしょうがないのだ。

そのリー(バーバラ・ハーシー)には夫がいるのだが、その夫というのが気難しい芸術家で、どうやらリーの性欲を満足させてくれないらしい。そこでリーのほうでも、姉の夫と寝るのはよくないこととわかっていながら、セックスに応じてしまう。「閉じた私が開いてゆく」とつぶやきながら。この言葉は、男を受け入れる準備が出来たという意味だ。そしてセックスの結果は上々だった。こんなにいい気持になったのは初めてよ、というわけである。

ホリー(ダイアン・ウィースト)は独身で役者志望だ。彼女は大根で、なかなか役が回ってこない。それでいつもイライラしている。そんな彼女にどういうわけかウディが惚れる。恐らく落ちこぼれ同士で気があったのだろう。もしホリーに慰めてもらえなかったら、ウディは自殺したかもしれない。彼は、家庭を失い、仕事を失い、自分自身を見失おうとしていたのだ。彼は自分が不治の病にかかったと思い込み、生きることに絶望していたのだった。ライフル銃で自分の頭を撃とうとしたり、心の平安を求めて宗教(カトリック)に逃げようとする。ウディはユダヤ人で、当然ユダヤ教徒だ。それが他の宗教に改修することはありえないといって、ウディの父親は息子を叱り飛ばすのだ。

両親といえば、ハンナたちの姉妹にも両親がある。彼らもやはりニューヨークのアパートに住んでいて、ときたま友人たちを招いてパーティを催したりするから、裕福な生活をしているのだろう。時折夫婦喧嘩をすることもあるが、それは仲のいいことの現われで、人生最後の光を浴びているといった風情である。

結局ウディは死なずに生きてゆくことにする。宗教による心の慰謝も求めない。神がいなくとも、人は生きて死んでゆくんだ、命の続く限り楽しむんだ、と自分に言い聞かせながら。この映画も、「アニー・ホール」ほどではないが、知的なせりふが方々に散りばめられている。たとえば、正しい宗教を与えられなければ、惨めな死に方をするかもしれないというウディの心配に対して、父親が言う言葉「死ぬときに心配すればよい」などだ。

眩暈を覚えたウディが医者に相談するシーンが出てくるが、これを見ると、アメリカの医療の一端を垣間見たような感じになる。医療もビジネスなのだということがよくわかるのだ。医者は患者を適度に脅かして、高額な検査を受けさせる。アメリカの医療費は目が飛び出るくらい高いといわれるから、ちゃんとした保険に入っていないと、とんでもない額の金を巻き上げられることになる。

この映画では、ニューヨークの街がなかなか風情豊に映し出されている。クラシックな建物が沢山出てくるし、街並にも風格がある。まるでヨーロッパの街を見ているような感じだ。ダウンタウンのチェルシーあたりの名前が出てくるから、その辺の風景なのだろう。



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