壺齋散人の 映画探検
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キートンの探偵学入門:探偵になったキートン



「キートンの探偵学入門(Sherlock Jr)」は、キートンが探偵となってどたばた追跡劇を繰り広げるというもので、他愛ないながら、非常に面白い映画である。映画の冒頭で、「二兎を負うものは一兎を得ず」という趣旨の言葉が出てくるが、それはキートンが映画技師でありながら探偵の真似をするのはよくないという意味だ。この映画の中のキートンは、基本的には映画技師で、探偵はその趣味ということになっているのである。趣味とはいえ、大変な騒動を巻き起こして、さんざんな眼に合うので、やりつけないことはやらないほうがよい、という教訓が伝わってくるようになっている。いづれにしてもこの映画は、どたばた喜劇にしては教訓に富んだものなのである。

発端は、映画技師としてのキートンが、女性から時計を盗んだ嫌疑をかけられることだ。その嫌疑を晴らすためにキートンは、俄探偵となって真犯人の発見に努力するのだ。ところが、本物の犯人はなかなかの知恵者で、キートンの裏をかいては翻弄するというわけである。

最初の大きな見せ場は、キートンが映し出したスクリーンの中に、時計泥棒と女性が出てきて、そこに技師のキートンが加わるためにスクリーンの中に入っていくことだ。スクリーンの中は現実世界とは異なるので、さまざまな光景がめまぐるしく回転する。そのたびにキートンは、擬似現実に直面して大いに冷や汗をかく。擬似現実は、車の中だったり、がけっぷちだったり、ジャングルだったり、草原の中の湖だったり、海面に突き出た岩だったり、雪に蔽われた台地だったりする。

ともあれ、探偵となったキートンは、犯人一味を次第に追い詰めてゆく。そのキートンを犯人一味が返り討ちにしようとするが、キートンはその裏をかいて逃げ回り、なかなかつかまらない。ドライバーのいないオートバイの荷台に乗って、そこいらじゅうを飛び回ったり、女性と一緒にオープンカーで走り回ったりするが、最後にはエンジンの外れた車ごと川の中に突っ込んでしまう。そこでキートンは帆を揚げて風力で進もうとするのだが、進む前に沈んでしまう。さあ、たいへん、このままでは溺れ死んでしまう、とあせるところで、キートンは夢から覚めるというわけなのである。どうやらこの映画は、キートンがまどろみつつ見た夢だったということらしいのだ。

キートンは、この映画でも例のポーカー・フェイスで、その無表情が劇のどたばた振りを一層引き立てている。キートンは非常に小柄で、相手役の女性より背が低い。



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