壺齋散人の 映画探検
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犯罪王リコ(Little Caesar):1930年代のアメリカギャング映画



1930年代のアメリカでギャング映画が多数作られたのには、それなりの背景がある。1920年に禁酒法が施行されると、全米で密造酒の売買が横行し、その利権にギャングたちが群がって、この連中の無法行為が市民の目にあまるようになった。アル・カポネといった伝説的なギャングが大活躍したのは、この禁酒法の時代だ。ギャングたちは互いに反目しあって派手な抗争を繰り返したが、それが映画にとってはスリルに富んだ材料を提供することとなった。1930年代のギャング映画は、そうしたギャングたちの生態に焦点を当てたものが多い。

1931年公開の「犯罪王リコ(Little Caesar)」は、そうしたギャング映画の嚆矢となるとともに、30年代ギャング映画のひとつの典型として、後続する作品に影響を与えた。この映画で主人公を演じたエドワード・G・ロビンソンは、ジェームズ・キャグニーと並んでギャング映画のスターとなった。キャグニーが冷徹なギャング役を演じたのに対し、ロビンソンのほうは、冷徹さのなかにも一味の人間的な弱さを感じさせるところに持ち味があった。そうした人間臭さは、1940年の主演映画「偉人エーリッヒ博士」の人間像の中に結晶している。

この映画は、禁酒法がまだ生きていた時代に作られたものだが、酒の密造をめぐる話題は出てこない。ギャングの抗争が描かれているのだが、彼らギャングは酒の密造ではなく、博打の賭場を仕切ることで利益をあげている。博打はギャングの伝統的な資金源だが、禁酒法の時代には、アメリカ社会全体に犯罪気分が広がったことで(なにしろ飲酒そのものが犯罪なのだから)、ギャンブルも盛んになった。ギャングたちはだから、密造酒で利益を上げるとともに、博打でも儲けたのである。

酒の密造に焦点をあてた作品としては、一時テレビドラマとして人気を博した「アンタッチャブル」があげられる。これは酒の密造組織とFBIの戦いぶりを描いたものだ。ギャングと密造組織とがほぼ同義語として描かれている。密造組織を小説に描いたものとしては、フォークナーの「サンクチュアリ」が名高いが、こちらは警察ではなく、弁護士が密造組織の実像に迫るところが描かれていた。

「犯罪王リコ(Little Caesar)」は、一介のチンピラがチャンスを求めてニュークに乗り込み、下っ端やくざからギャングの大親分にのし上がってゆくプロセスが描かれる。いわばギャングの出世物語だ。リコは、どういうわけかイタリア人を思わせる名前だ。この時代にはニューヨークのギャングといえばイタリア・マフィアが仕切っていたので、それを踏まえて主人公にイタリア風の名を与えたのだろう。

リコは自分の度胸だけを武器にやくざ社会をのし上がってゆく。度胸だけで組織をまるめこむというのは、知性や資金がものをいういまのギャング社会ではあり得そうもない話だが、禁酒法の時代はやくざにとって戦国時代とも言うべき様相を呈し、リコのような人物にも出世のチャンスがあったものと思える。いわばギャング社会の下克上だ。そのリコを最終的に引き摺り下ろすのは、この映画では警察ということになっている。この映画は、ギャング映画ではあるが、ギャング同士の争いよりも、警察がギャングを追い詰めるところに重点を置いている。警察によるギャングの追及という点では、「アンタッチャブル」と似たところがある。

リコは警察に追い詰められ、射殺されるのだが、それは彼が友人に対して甘かったからだ。この友人は、チンピラ時代からの仲良しで、一緒にニューヨークにやってきたのだったが、女に惚れたことで、リコを裏切る。裏切られたリコは、この友人を殺すことができない。友情がそれを妨げるのだ。おかげでリコは、警官殺しの容疑をかけられ、警察に追われる身となる。追われたリコは、場末の木賃宿にしけこみ再起を期すが、リコの性格をよく知っている担当刑事が、リコを馬鹿にする記事を新聞に大々的に載せる。そこにはリコは臆病者と書かれていた。自分を臆病者と罵られたリコは、徴発にのって警察に電話をする。そこを逆探知されて居場所をつきとめられ、ついにはマシンガンで蜂の巣にされてしまうわけである。

こんな具合でこの映画には、ハードボイルドタッチ一辺倒ではなく、かなりゆるいところもある。そのゆるさが、ロビンソンの独特の風貌とあいまって、映画に色を添えていると言えるところもある。





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