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プライベート・ライアン(Saving Private Ryan):スティーヴン・スピルバーグ



スピルバーグといえば、SFとかホラー映画とか冒険サスペンス映画とか、とかくファンタジックな映画を作り続けた人だが、その人が「シンドラーのリスト」を作ったときは、一転してシリアスなその内容に世界中の人が驚いた。「プライベート・ライアン(Saving Private Ryan)」は、そのシリアスの路線を受け継ぐものだ。

「シンドラーのリスト」同様、第二次大戦中の出来事を映画いている。「シンドラーのリスト」は、ナチスの暴虐からユダヤ人の命を守った一人の男が、英雄的に描かれていたが、この「プライベート・ライアン」は、一兵卒の命を救うというテーマが、やはり命の尊さとそれをまた命をかけて守る人たちの英雄的な行為を通じて描かれている。こうした映画を見せられると、スピルバーグという人は、筋金入りのヒューマニストだと思わされる。

題名の「プライベート・ライアン」のプライベートは兵卒という意味だ(一等兵と二等兵をさす)。この映画はライアンという名の兵卒をめぐる話なのだ。舞台はノルマンディ上陸作戦だ。その作戦で大勢のアメリカの若者が戦死した。その中にライアン家の三人の息子がいた。その戦死を母親に知らせるのは、軍としてもつらいことだ。しかも四人目の息子がやはりノルマンディ作戦に従事していて、その子も戦死する可能性がある。一時に四人も子を失った母親はどんな気持ちになるだろう。それを憂慮した軍のトップが、その四人目の子を戦死させないために、戦場から連れ戻して母親のところに帰してやろう、と考えた。そのために、前線から八人の兵士を選んで、ライアン二等兵を探し出し、連れ戻す任務を付与する。

こうして選ばれた八人の兵士たちが、命をかけてライアン二等兵を探し求めるというのが、この映画の基本プロットだ。ノルマンディ作戦は、一部の前線で多大な犠牲を出したうえに、上陸後もドイツ軍の反攻に直面し、戦線の状況は思わしくなかった。そんな状況のなかで、ドイツ軍占領下のフランスを、一人の兵士を探し求めて歩き回るのは、命がいくつあっても足りないほど危険な任務だ。その危険な任務を、トム・ハンクス演じるミラー中尉以下八人の兵士たちが、自分の命をかけて遂行しようとする。そこに観客はアメリカ兵のヒロイズムを感じさせられる。

仲間から二人の死者を出しながら、やっとライアン二等兵と出会えた彼らだが、ライアン二等兵は、自分の任務を果たすまでは国に戻らないと言い張る。そこで彼らはライアン二等兵と一緒になってその任務を遂行し、晴れてライアン二等兵を連れて帰ろうと決意する。何が彼らにそんな決意をさせたのか。それは彼らのヒロイズムだと言うのがスピルバーグの言い分のように聞こえる。

その任務は生半可なものではない。ドイツ軍にとって戦略的重要性を持つ橋を爆破するというものだ。こちらの兵力は十数人の兵士と十分とはいえない銃器、これに対してドイツ軍のほうは複数の戦車を前面にたてて、数十人の兵士が襲い掛かってくるのだ。多勢に無勢にかかわらず、米軍は健闘する。しかしやはり戦力に劣る米軍は苦戦を強いられる。その戦いのなかで、ミラー中尉をはじめ、残りの兵士たちの大部分が死ぬ。

その命をかけた戦いぶりが、この映画の大きな見どころだ。数ではかなわないので、そこは知恵を働かせることで埋め合わせようとする。しかし人間の力には限度というものがあるので、最終的にはやられてしまうのだ。戦車を前にした敵の攻撃に対して、こちらはライフルで迎え撃つ。戦車とライフルでは、勝負にならない。そんなわけで、さすがの英雄たちもつぎつぎと命を落としてゆくのだ。

ところで、彼らをこうした行為に駆り立てたのは、兵士としての誇りだったということになっている。だからミラー中尉は、自分の命が消えゆく瞬間に、ライアン二等兵に向かって、命を大事にしろよというわけである。彼が死ぬのは、ライアンの命を守るためだったからだ。そのライアンに死なれては、自分自身何のために死ぬのかわからない。

映画の見せ場としてはもうひとつ、ノルマンディ海岸での上陸にともなう戦闘の場面がある。これは、いわゆるオマハビーチでの上陸を描いたものだが、この前線では、連合軍は最も大きな損害を出した。数千人規模の戦死者を出したのだ。上陸した部隊がドイツ軍の正面攻撃にさらされ、兵士たちが狙い撃ちにされる。その戦闘ぶりがリアルに描かれている。

また、映画の最初と最後の場面で、老いたライアンを登場させて、ミラー中尉の墓にぬかづかせる演出をしている。これは「シンドラーのリスト」の最後のシーンで、シンドラーに救われた大勢のユダヤ人たちを登場させ、彼らがシンドラーの墓にぬかづくのと同じ趣旨の演出だ。スピルバーグはこういう演出の仕方が好きだったのだろう。




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