壺齋散人の 映画探検
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アメリカ映画「エルマー・ガントリー」:信仰復興運動を描いた映画



アメリカ映画「エルマー・ガントリー(Elmer Gantry)」は、シンクレア・ルイスの同名の小説を原作として、アメリカの信仰復興運動(リバイバル)を描いたものだ。リバイバルというのは、アメリカに特有の宗教運動で、数十年単位で間歇的に沸き起こる現象らしい。森本あんりによれば、アメリカ人に根強い反知性主義の現われで、一旦ブームになると、すさまじい勢いでアメリカ人のハートを捉えるのだという。あのロナルド・レーガンがアメリカの大統領になれたのも、リバイバルを支えた熱狂が彼を後押ししたからだという指摘もある。

シンクレア・ルイスが原作を書いたのは1927年のことで、その頃はビリー・サンデーを中心にしたリバイバル運動の熱気がまだ残っていた。禁酒法を制定させたのも、リバイバル運動の熱狂だったわけで、その禁酒法のもとで、人々が宗教的熱狂に耽る一方、マフィアが暗黒街を闊歩していた時代である。ルイスの小説は、一応エルマー・ガントリーという架空の人物を主人公にしているが、その行動の描き方はビリー・サンデーを大いに参照しているようである。

映画の中で、エルマー・ガントリーが民衆の先頭に立ち、リパブリック賛歌を合唱しながら街を練り歩き、闇酒場を急襲して破壊する場面が出てくるが、これはビリー・サンデーが民衆組織の有力な方法として実際に行っていたことだという。ビリー・サンデーは、とにかく型破りの人間で、宗教活動をショー・ビジネスにしたと批判されている。もっとも当人はそんな批判はどこ吹く風で、持ち前の押しの強さで、民衆の心をつかんでいった。

実際のビリー・サンデーは、大リーグの選手で、孤児院育ちの無教養な人物だった。この映画の中でバート・ランカスター演じるエルマー・ガントリーは、旅回りのセールスマンで、女をだまして歩く無頼漢ということになっている。だがどういうわけか、妙な宗教心を持っており、その宗教心を言葉で表現し、人々の心をとらえるのがうまい。そんなエルマーが、リバイバルの一宗派「神の家」の人々と出会う。エルマーは、その女教祖に、複雑な愛を覚える。それは半分は宗教的な敬虔さの現われであったが、もう半分は肉欲のしからしめるところであった。

というわけで、映画はリバイバル運動の興味深い動きを、男女の恋愛に絡めて展開する。それがどの程度原作を踏まえたものなのかは、筆者にはわからない。しかしそんな背景を知らなくとも、この映画は十分に楽しめる。

エルマー・ガントリーを演じたバート・ランカスターがすばらしい。この俳優は、がたいがしっかりしている上に声がでかくてよく通る。だから演説に迫力があるし、その歌声たるや天にも響くほどである。それでいて、心のナイーブさも感じさせる。不思議な魅力をたたえた俳優といえる。この映画の面白さは、九部どおり彼の演技に由来しているといってよい。

映画の冒頭で、信仰の自由はだれにも許されており、何を信じようとその人の勝手であるが、しかし他人の信仰を操ることはできない、というメッセージが流れるが、これはおそらく原作にあった言葉だろう。映画では、エルマーは他人に自分の信仰を押し付けているようには見えない。それどころか、彼は愛する女性が焼け落ちる教会と運命を共にしたことで、布教活動から足を洗って、再び放浪の旅に出るのだ。



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