壺齋散人の 映画探検
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オリヴァー・ストーン「プラトーン」:ベトナム戦争の一齣



オリヴァー・ストーンの1986年の映画「プラトーン(Platoon)」は、ベトナム戦争の一齣を描いた作品だ。ベトナム戦争は、アメリカの起した対外戦争の中でもっとも汚い戦争だといわれるが、その汚い戦争の醜悪な面を、オリヴァー・ストーンはヒューマンタッチで描いた。中には見ていられないようなショッキングな場面もあるが、それらは実際に兵士としてベトナム戦争に従軍したストーン自身の体験に根ざしているらしい。

原題の「プラトーン(Platoon)」とは、軍隊用語で小隊を意味する。軍編成の最小組織として、戦闘の基本単位となるものだ。この映画は、ベトナム戦線で形成されたある小隊の非日常的な日常を描く。非日常的な日常という意味は、人を殺すことが正常化している日常という意味だ。実際戦争では人を殺すのが最大目的に成りがちだが、この映画の場合には、毎日が人を殺すことに費やされるのである。

ベトナム戦争というのは、圧倒的な戦力を誇るアメリカの侵略軍に、ベトナムの農民兵たちが、それこそ筵と鍬とで刃向かった戦争といわれるように、基本的にはアメリカによる一方的な侵略戦争だったわけだ。アメリカの戦争のやり方というのは、基本的には圧倒的な軍事力を総動員して、弱い相手を、それこそモグラを叩き殺すように殺していくという戦術だ。地上戦にもつれこんで、やむをえず白兵戦になる場合にも、相手に対して三倍以上の兵力を以て対面するというのが基本だ。要するに相手との五分の戦いではなく、圧倒的な戦力の優位を前提にして戦うわけである。

ところがこの映画では、アメリカ軍は、かならずしもそのような優位にはなく、ベトナム軍と対等の戦力、あるいはベトナム軍より弱い戦力で立ち向かうというような設定の場面が多い。これは事実に反していると思うのだが、そこはアメリカ兵としてベトナム戦争に従軍したストーンの誇りのようなものがあって、我々米兵も互角の相手と勇敢に戦ったのだと言いたいのかもしれない。

しかし実際にアメリカ軍のやったことは、弱い相手をかさになってやっつけるというもので、空から無数の爆弾を落としたり、有名なソンミ事件のように、女子どもや老人など弱い住民を村ごと虐殺するというようなことだった。この映画でも、逆上した小隊長が、ある部落の住民を皆殺しにしようと叫んで、部隊の下僚から諌められるシーンが出てくる。この小隊長は、そのことを深く恨み、その下僚をどさくさにまぎれて殺してしまうのだ。

こんなぐあいに、この汚い戦争は、アメリカ人同士をも敵対させるほどに、道義の無い戦争だった、という強いメッセージが伝わってくる。そのメッセージ性がこの映画に、独特の人間性をかもし出させている。先にヒューマンタッチと言ったのはそのことだ。

そんなことからこの映画は、賛否こもごもの評価だった。アメリカがベトナム戦争から手を引いたのは1973年のことで、この映画の公開の時点ではすでに十年以上が経過していたが、この映画はベトナム戦争で傷ついた多くの人々を、よかれあしかれ刺激した。この戦争の愚かさを改めて反省させる一方、ストーンのベトナム戦争批判に強い反感を抱く人もあったわけだ。

ともあれこの映画は、アメリカ側の一方的な視点から描かれ、ベトナム側の視点は一切入ってこない。だから映画の中に出てくるベトナム人は人間性を感じさせない。あたかもゴキブリか何かのような扱いだ。彼らが人間らしく見えるのは、アメリカ兵によって虐殺される場面ぐらいである。犬や猫でさえ、無残に打ち殺されれば、見ている人間の心を動かすものだ。ましてゴキブリのようなベトナム人でも、人間が人間によって打ち殺されるのを見るのは、吐き気を感じるような衝撃的なことだ。そうした衝撃も含めて、この映画は戦争の非日常的な日常性を淡々と描いているというわけである。



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