壺齋散人の 映画探検
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父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers):クリント・イーストウッド



「父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)」は、硫黄島での日米両軍の死闘を、アメリカ側の視点から描いたものである。この戦いでは、戦闘が一段落した時点で、米兵が擂鉢山の頂上に星条旗を掲げ、その写真が公開されることで、アメリカ市民の戦意が昂揚したといったエピソードがあった。この映画はそのエピソードの当事者となった兵士たちをめぐって、物語を展開させている。戦争映画ではあるが、また戦意高揚のエピソードをテーマにしているが、戦争を礼賛する映画ではない。かえって、戦争が人間をいかに損なうか、について描いている。とはいっても、戦争を全否定するわけでもない。

この映画を監督したクリント・イーストウッドは、テレビの西部劇などを通じて、日本人にも人気のある俳優だった。その彼が晩年になって映画の製作に乗り出した。この映画は、彼の代表作である。イーストウッドは、政治的には保守派として知られ、アメリカへの忠誠を重んじるタイプの人間だが、しかしありがちな愛国心とは違って、国家を万能視するようなことはしない。国家の前に個々の人間があり、国を守るというのは、抽象的な国家を守ることではなく、国家の成員である個々人を守ることだという姿勢をとっているようだ。この映画にもその姿勢は現われている。イーストウッドは、登場人物の兵士たちに、俺が戦っているのは、仲間のためだと繰り返し言わせている。

そんなわけであるから、この映画のなかのイーストウッドの人間と戦争の描き方は、個々の人間の人間性を大事にしたものである。それは、インディアン兵士の描き方にも現われている。インディアンも一人の人間として、この戦争に加わっている。自分(そのインディアン)が戦っているのは、抽象的な国家に忠誠を尽くすためと言うよりは、仲間のインディアンの境遇が、自分が戦うことで少しでもよくなることを願ってのことだ。自分が戦うことで、自分らに対する白人たちの視線も変るだろう、とこのインディアンは自分でも思い、そのことを仲間にも表明する。それをイーストウッドは、淡々と描くことで、彼の言い分には十分な理屈がある、と同意しているようである。そんなインディアン兵士に、心無い白人たちが侮蔑的な態度をとるのを、イーストウッドは怒りを込めて描いている。その辺に筆者は、イーストウッドの正義感のようなものを感じた。

題名の Flags of Our Fathers は、原作であるノンフィクション作品の題名だが、アメリカでは、建国の父祖以来、国家の礎となった人々を Fathers と呼ぶ伝統があることを踏まえている。Flags は、それら父祖たちそれぞれにとっての、国家のシンボルということだ。この映画のなかの兵士たちも、それぞれの星条旗を掲げながら戦場にやってきた。そしてアメリカという国に生きている人々のために戦うのだという気持をもっている、ということをこの題名に込めているのだと思う。

もっともこの映画のなかでは、アメリカ国旗星条旗が、数奇な運命を担わされている。本来は、国民統合の象徴である星条旗が、政治家たちの野心の道具とされたり、また国民の戦意高揚のために利用されたり、といった具合だ。映画の中の兵士たちは、別に星条旗のために戦っているわけではなく、自分の仲間やアメリカで生きている市民のために戦っているつもりが、いつのまにか、星条旗を通じて政治的に利用されている。そこにイーストウッドは、不純なものを感じたのだろう。映画からは、星条旗が政治的に利用されることへの嫌悪感のようなものが伝わってくる。

硫黄島の戦いは、日本軍の抵抗が激しくて、日米戦のなかでももっとも過酷な戦いになった。日本側の戦死者は二万名を越え(ほぼ全滅)、アメリカ側も六千八百を越える戦死者と二万を越える戦傷者を出した。映画でも戦いの激しさはよく描かれている。なかでも迎え撃つ日本軍の巧妙さが強調され、アメリカ側がやや無思慮なように描かれている。他の戦線で一般的であった日本側の無謀な万歳攻撃を、かえってアメリカ兵士たちが行い、そのことで不必要な損害を出したのだというふうに伝わってくる。そういうシーンを描きながらイーストウッドは、軍上層部の作戦の甘さを皮肉っているようである。

映画の作り方についていえば、硫黄島での戦闘シーン、英雄として凱旋した兵士たちのアメリカでの歓迎振り、兵士の老後の生き方などが、それぞれ同時平行的に描かれるのだが、それら相互の関係に緊密なつながりがかならずしも見られないので、見ているほうとしては多少混乱させられるところもある。



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