壺齋散人の 映画探検
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王様と私(The King and I):ウォルター・ラング



ユル・ブリンナーとデボラ・カーが共演した1956年のミュージカル映画「王様と私(The King and I)」は、シャムの王様とイギリス人女性との奇妙な友情を、ハリウッドの視点から描いたものだ。ハリウッドの視点からシャムの王室を描くわけだから、どんな描き方になるか、知れたものである。実際この映画は、東洋人に対するハリウッド、つまり西洋人の陳腐なステロタイプを代表しているような作品だ。それはステロタイプというのを通り越して、偏見といってもよい。しかしその偏見にあまり悪意を感じさせないのは、作者があまりにも無知だからだろう。

そんなわけでこの映画は、タイ人にとっては、自分たちを侮辱したものと受け取られ、今でも上映禁止だそうである。実際我々日本人が見ても馬鹿馬鹿しい限りなのだから、タイ人が見たら痴愚蒙昧の塊としか映らないだろう。こんなものはタイ人の子どもはもとより、大人にも見せられないというわけだ。

一方アメリカとかイギリスでは空前の大ヒットをしたそうだ。原作者がインド系イギリス人だから、余計彼らの気に入ったのだと思われる。アンナというそのイギリス系インド人が、実際にタイの王室の家庭教師として雇われた時の経験を「アンナとシャム王」という回想録に書いたものを、ミュージカルに仕立てたらしいが、そのアンナという女性には虚言癖があって、回想録に書かれたタイの王室の様子は、読者の歓心を買うための虚言で満ちていたということらしい。

ともかくこの映画の中で出てくるタイの王室の様子は、王を始めみな野蛮で無知で頭が悪いということになっている。王は宮廷の中で半裸でいるし、彼に仕える女たちは、人前で尻をさらすのを何とも思わない野蛮人である。106人いるとされる子どもたちは、父親である王の前で平身低頭している。彼らはみな敬虔な仏教信者で、いつも怪しげな身振りをしているが、それは西洋人が解釈した仏教的なものの典型ということらしい。

一方、イギリスの大使一行は、優雅な物腰と高い教養を兼ね備えた文明人として描かれている。彼らはシャムの王様や宮廷のシャム人たちが多少野蛮な行為をしても、面と向かって不快感を示したりはしない。高い教養とエレガントな物腰がそれを許さないのだ。

というわけで、この映画はシャムの人々が野蛮であればあるほど、西洋人が文明的ですぐれた人種であるという主張が伝わってくるようになっている。そこがこの映画の馬鹿馬鹿しい所以である。

大ヒットした最大の要因は、やはり歌だろう。有名な Shall we dance? をはじめ、スタンダードナンバーとなった歌が随所で歌われる。またブリンナーとデボラ・カーとが優雅なダンスを披露する。ミュージカルとしてはそれだけでも楽しい。

ユル・ブリンナーはスキンヘッドの顔貌が大男のイメージを与えるが、実際には小柄な男だとわかる。デボラ・カーと並んでもほとんど身長に変わりがない。彼の顔つきが誰かに似ている。誰だろうと思ったら、ルノーからニッサンに送り込まれた某ブラジル人だった。顔つきも声もよく似ている。




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