壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板


ミュージカル「キャバレー」:ライザ・ミネリの魅力



1972年のアメリカ製ミュージカル映画「キャバレー(Cabaret)」は、キャバレーの歌姫をテーマにしている点で、1930年のドイツのミュージカル映画「嘆きの天使」とよく似ている。ワイマール時代のベルリンが舞台となっていること、歌姫の自由奔放な生き方が描かれていることなどが共通点だ。しかし違いもある。「嘆きの天使」では表面化していなかったナチスの台頭が、この映画では大きな影を落としていることだ。

そういう一切のことを度外視すれば、この映画はライザ・ミネリと言う稀有の女優の魅力を十分に見せてくれる。「嘆きの天使」もまた、マレーネ・ディートリッヒという一代の名女優の魅力を楽しませてくれたのだったが、この映画の中のライザ・ミネリの魅力もマレーネに劣らぬほどすばらしいものだ。マレーネは脚線の美しさをトレードマークにしていたが、ライザの場合には、豊満な体格と天使のように大きな目がチャームポイントになっている。

この映画を見ると、ワイマール時代末期のベルリンが、頽廃的な雰囲気に包まれていた時代だったと痛感させられる。その頽廃がナチスの台頭を許したのだろう。映画の中で、ナチス親衛隊の青年の歌声に合わせて、市民が一斉に歌う場面が出てくるが、そういうところを見せられると、ドイツ人と言うのは同調しやすい民族性を持っているのだと改めて思わせられるし、そうした同調性が全体主義的な雰囲気を醸成し、それがナチスの台頭につながったのではないかと考えさせられる。

理屈はともかく、この映画は享楽を描いてあますところがない。人間というものは、享楽のために生まれてきたし、また現に生きているのだということを、否応なく感じさせられる。普段享楽とはあまり縁のない生活をしている人でも、この映画を見ると、享楽に一片のあこがれを感じるのではないか。

ライザ・ミネリ演じる映画の主人公サリーは、アメリカからやって来て、女優になることを夢見ている女だ。キャバレーで歌いながらそのチャンスをつかもうとするが、キャバレーの稼ぎだけではまともな暮らしができないので、売春して金を稼いでいる。

そんな彼女の前にイギリス人青年ブライアンが現われ、彼らは同じアパートに住むようになる。そして恋人の関係に発展するのは映画の勢いと言うものだ。しかし、女のほうはあいかわらず売春をやめないし、たまたま知り合った裕福な男に招かれて、その男に抱かれたりする。そのうち女が妊娠していることがわかる。しかし誰が父親かはわからない。それでもブライアンはその子を自分の子として育てるから、結婚しようと申し出る。

ここで、二人は幸せになるのかと思えば、そうはならない。女が自分の意志で堕胎し、婚約も解消してしまうのだ。この女はどうも、結婚生活のもたらす単調さに我慢できないようなのだ。

というわけで最後に二人は別れ、サリーは相変わらずキャバレーで歌い続けることとなる。しかしこれからサリーが生きていくベルリンのキャバレーにも、ナチスの手が伸びてきている、ということを暗示しながら映画は終る。

映画の中では、ナチスによる共産党員の殺害シーンとか、ユダヤ人への嫌がらせのシーンが出て来る。この映画の舞台は1931年のベルリンだから、ヒトラーはまだ権力を掌握していなかったが、ナチスは急速に拡大し、影響力を強めていた時期だ。そういうなかで次第にナチスが本性を現わして、反対者やユダヤ人を暴力的に攻撃していくようになるわけだ。映画はそうした過渡的な状況を描いている。



HOMEアメリカ映画ミュージカル映画









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2018
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである