壺齋散人の 映画探検
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屋根の上のバイオリン弾き(Fiddler on the Roof)



1971年のアメリカのミュージカル映画「屋根の上のバイオリン弾き(Fiddler on the Roof)」は、日本でも大ヒットしたほか、もとになった舞台劇のほうも、何度も俳優を代えながらロングランとなった。ミュージカルとして日本人のハートを長く捉え続けたわけは、家族愛を中心としたセンチメンタルな情感を醸し出していることにあるのだろう。

テーマはウクライナにおけるユダヤ人コミュニティとそこに生きる家族の絆である。原作では時代状況を19世紀末のウクライナの農村地帯に設定している。映画ではそこまでは読み取れないが、ロシアの一地方くらいのことは伝わってくるようになっている。その時代のウクライナには、シュテットルと称されるユダヤ人居住地区があって、一応周囲のウクライナ人居住地区とは隔離されていたようである。その地区内においては、ユダヤ人同士の熱い交流があるが、一歩地区を出ると、ウクライナ人との間で強い緊張を感じるし、時にはウクライナ人が外部からユダヤ人を脅かすこともある。

映画は前半で、シュテットル内部でのユダヤ人同士の交流を描き、後半でウクライナ人によるユダヤ人の迫害を描く。その迫害は当初は散発的なものだったが、やがては大規模かつ組織的なものになっていき、最後にはユダヤ人たちはシュテットル丸ごと追放の憂き目に見舞われる。追放されてもウクライナ内に居場所を持たない彼らは、アメリカやイスラエル目指して放浪せねばならぬのだ。

この映画の最大の見所は、ユダヤ人の家族愛である。この映画の主人公テヴィエは、貧しい牛乳売りで、妻のほかに五人の娘を持っている。テヴィエの最大の関心事は、この娘たちに相応しい婿をあてがうことだ。そんなつもりから、長女は金持ちの肉屋にとつがせることとするが、長女にはすでに好きな男がいて、是非その男と添わせて欲しいと懇願される。娘の涙に弱い父親は、娘の希望を入れて、前途のあまり明るくない男に娘を与えるのだ。

前半はこの長女と青年とが結婚式をあげるところでピークを迎える。ここで歌われるのが、あの「サンライズ・サンセット」だ。切ないメロディに乗って歌われるこの歌は、ユダヤ風の音階で、独特の情緒を感じさせる。小生はこのメロディとマーラーのメロディとに共通するものを感じ、そこにユダヤ音楽の底流のようなものを認めたものだ。

長女に続いて、次女も三女も、それぞれ自分の愛した男との結婚を望む。相手の男は危険思想の持主だったり、ウクライナ人だったりして、テヴィエの意にはそわない。しかし愛する男と添わせて欲しいと願う娘たちの目を見ると、テヴィエは彼女たちの希望を聞かざるをえないのだ。

ここで非常に印象深いことは、これら三人の娘たちが父親に対して深い尊敬と愛情を抱いていることだ。彼女らは父親に結婚を反対されると、それに反発するのではなく、あくまでも許しを請い続けるのだ。この娘との関係に限らず、ユダヤ人の家族においては、父親の意向が絶対的であると随所で伝わってくる。家父長制の伝統が、19世紀末のユダヤ人社会のなかで強く生きていたことを感じさせられる。

それでもテヴィエは、娘が自分の手を離れて自立したことに、とまどいを感じる。テヴィエはユダヤ人の伝統を最も大事な基準にして生きてきたのだったが、その伝統が若い世代では失われつつあるのではないかと危惧するのだ。その危惧の気持ちをテヴィエは、It's a new world と表現する。

いずれにせよ、テヴィエの生きている時代のユダヤ人コミュニティには、ユダヤ的な伝統、つまり家父長制が強く残っているわけで、これはこれで、すでに父親の権威が崩壊してしまった今日の日本人にとっては新鮮に映る。良いか悪いかは別にして。

後半ではウクライナ人によるユダヤ人迫害が前面化する。その迫害は結婚式を妨害するとかいったいやがらせのたぐいで、虐殺をともなうような陰惨なものではないが、それでも最後にはユダヤ人はウクライナに居場所を失うまでに追い詰められる。彼らにはそれをやめさせる如何なる手立てもない。諾々として従うほかに道はないのだ。

映画が迫害を陰惨に描かなかったのには、それなりの意図があるのだろう。実際の歴史としては、ウクライナにおけるユダヤ人迫害はヨーロッパでもっとも厳しいものだったとの研究もある。第二次大戦中には、ナチスによるユダヤ人迫害に便乗して、ウクライナ人によるユダヤ人のホロコーストも大規模に起こったとされるが、それには歴史の中で培われてきたユダヤ人迫害の伝統が強く働いたとも言われる。

そういうことを一応脇へ置いて、これをヒューマンドラマとして見ても、実に感動的で人の心を揺り動かすような作品だと言えよう。




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