壺齋散人の 映画探検
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ラ・マンチャの男(Man of La Mancha)



「ドン・キホーテ」は世界文学史に屹立する偉大な小説にして、また奇想天外人をして抱腹せしめる衝撃であふれている。小説がこのように型破りであるばかりか、その作者ミゲル・デ・セルバンテスも古今東西人類が排出したなかでも最も型破りな男であった。したがって、小説そのものにせよ、その作者のセルバンテスにせよ、人間の想像力を刺激してやまない。ミュージカルの題材としてももってこいである。

1972年のミュージカル映画「ラ・マンチャの男(Man of La Mancha)」は、そんな小説とその作者の魅力を十分にアレンジした作品である。この映画に先立ってブロードウェーでのロングランがあり、映画が作られた後でも、世界中の舞台で演じられた。日本でも歌舞伎役者がドン・キホーテに扮して、大方の拍手喝采を浴びたものだ。

この作品は、ある種の劇中劇の体裁をとっている。セルバンテスは「ドン・キホーテ」の序文の中で、この物語が牢屋の中で構想されたとほのめかしているが、このミュージカルの作者はそれをもとにして、セルバンテスが牢屋のなかでこの物語を同房者たちを相手に語り聞かせ、また劇にして演じた、それがこのミュージカルの内容なのだ、とうふうに設定している。

セルバンテスは波乱に富んだ生涯を送り、たびたび投獄されたり、命の危険にさらされたことがある。そのなかで、「ドン・キホーテ」を構想したのは、初老の時期にセルビアで投獄された時だろうと推測されている。当時セルバンテスは収税請負人の仕事をしていたのだが、その仕事を巡ってカトリック教会とトラブルとなり、それがもとで投獄されたのだ。

映画では、セルバンテスは宗教的な問題を巡って投獄され、宗教裁判を待っている身ということになっている。その裁判を待つ間に、同房者たちを相手にドン・キホーテの物語を語り聞かせ、また同房者たちに劇中のキャラクラーを演じさせる。その中にはソフィア・ローレンが演じる売春婦もいて、彼女はドン・キホーテの永遠の思い人ドルシネーアを演じることとなる。

したがってこの映画は、セルバンテスをとりあえずの主人公として、そのセルバンテスが語るドン・キホーテの物語を劇中劇として展開するという形をとる。現実のセルバンテスは中年男であり、劇中のドン・キホーテは白毛だらけの老人である。その老人たるドン・キホーテが奇想天外な行為を繰り広げるところは、原作のなかから選んだいくつかのエピソードに基づいている。すなわち風車を怪物と勘違いして突進しひどい目に遭ったり、街道沿いの安宿を城と勘違いした挙げ句、城の連中からさんざんからかわれる話なのである。安宿での物語は、かなり変形されている。

見所はドン・キホーテがドルシネーアへの思いを表現するところだ。切ないメロディに合わせてドルシネーアへの思慕をうちあけるドン・キホーテの表情には神々しさが宿っている。そんなドン・キホーテの一途な思いに、ドルシネーアこと安宿の売春婦アルドンサもうっとりとする。

ドン・キホーテを演じるピーター・オトゥールには、いかにも人間の真心を感じさせる暖かさがある。それに対してドルシネーアを演じるソフィア・ローレンが、いささか役不足に見えるのは、彼女のあまりにも豊満な肉体が、ドルシネーアのイメージと合わないせいかもしれない。

映画は宗教裁判に駆り立てられるセルバンテスの後ろ姿を写しだすところで終わるのだが、その時点で「ドン・キホーテ」のほうは、物語のなかではあるが、すでに死んだことになっている。




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