壺齋散人の 映画探検 |
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マーティン・スコセッシは、1970年代から21世紀初頭にかけてのアメリカ映画界を代表する監督である。非常に多彩な映画作りをした監督で、アメリカ社会を正面から批判した社会派映画から、暴力礼賛的な映画、あるいはエンタメ性の強い映画など、色々なタイプの作品を作っている。彼自身はイタリア移民の出身なので、イタリア系のマフィアに関心があるらしく、マフィアを描いた作品を結構な数手掛けている。また、遠藤周作の小説「沈黙」を映画化しており、日本人にもなじみが深い。 |
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出世作は「ミーン・ストリート」(1973)。ニューヨークの路上にうごめく不良たちの生態を描いた作品。不良たちがなんとかうまくやっているのは、警察がいい加減だからだ。警官はわずかな賄賂で犯罪を見逃してくれる。おかげで不良たちはうまく切り抜けていける、といったシニカルな視線を感じさせる作品である。 そういう権力批判的な視点は、「タクシー・ドラーバー」にも見える。この映画は、アメリカン・ニューシネマの最後の傑作といわれ、カンヌでパルムドールをとった。だが、スコセッシは以後政治的な要素を極力抑え、エンタメ性の強い映画を作るようになった。「レイジング・ブル」(1980)や「キング・オブ・コメディ」はエンタメ性を前面に押し出した作品である。それらの作品によって、スコセッシは大きな成功を収めた。 「最後の誘惑」(1988)は、キリストの生涯を描いた作品。聖書のキリスト像とは全く異なり、キリストを聖人ではなく俗物として描いた。それが宗教保守主義者の強い反発を呼び、スコセッシは身の危険を感じたほどである。 「グッド・フェローズ」(1990)はイタリア系マフィアを描いた作品で、以後スコセッシはマフィアをテーマにした作品をいくつか作るようになる。「カジノ」(1995)、「ディパーデッド」(2006)はその代表的なものである。「キング・オブ・ニューヨーク」(2002)はアイルランド系のマフィアを描いていた。 スコセッシは、自身イタリア系でシチリアのマフィアに親近感を持っていたようだが、ユダヤ人は快く思っていなかったようだ。「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は、ユダヤ人の株仲買人の生態をテーマにしたものだが、この映画の中のユダヤ人は、金亡者の非人間的な生き物として描かれている。 「沈黙」(2016)は遠藤周作の小説を映画化した作品。日本人の篠田正弘が先駆けて映画化している。篠田に比べてスコセッシのほうが原作に忠実な描き方になっている。スコセッシには、キリスト教徒としての宗教心があるかどうかわからぬところがあるが、この映画はポルトガル人神父の宗教的な確信に深く迫ろうとする意気込みを感じさせる。 以上を通じて言えるのは、初期の作品に政治的な視線を感じるのに対して、後期の作品にはエンタメ性が顕著に認められるということである。エンタメ性を利用して、マフィアの暴力をリアルに描いた。そこには暴力礼賛的な傾向を見てとることもできる。 ここではそんなマーティン・スコセッシの代表的な作品を取り上げ、鑑賞しつつ適宜解説・批評を加えたい。 マーティン・スコセッシ「ミーン・ストリート」 ニューヨークにうごめく不良たち マーティン・スコセッシ「タクシー・ドライバー」:社会の不正に立ち向かう男 マーティン・スコセッシ「レイジング・ブル」 プロボクサー、ジェイク・ラモッタの半生 マーティン・スコセッシ「キング・オブ・コメディ」 コメディアンの出世願望 マーティン・スコセッシ「最後の誘惑」 現世を楽しむキリスト マーティン・スコセッシ「グッドフェローズ」 イタリア系マフィアを描く マーティン・スコセッシ「ケープ・フィアー」犯罪者の弁護士への復讐 マーティン・スコセッシ「カジノ」 1980年代のラスベガスを描く マーティン・スコセッシ「ディパーテッド」 香港映画のリメーク マーティン・スコセッシ「シャッター・アイランド」 精神病者の妄想の世界 マーティン・スコセッシ「ヒューゴの不思議な発明」 メリエスと映画 マーティン・スコセッシ「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 株仲買人の半生 マーティン・スコセッシ「沈黙」:遠藤周作の小説を映画化 |
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