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亀井文夫のドキュメンタリー映画「上海」:日支事変後の上海



亀井文夫のドキュメンタリー映画の傑作「上海」は、「支那事変後方記録」という副題にもあるとおり、日支事変後の上海の様子を中心に、中国大陸における日本軍と中国民衆との接触を描いた映画である。日支事変が起きたのは1937年8月、この映画の公開は翌年の2月である。映画の作成は日支事変を遂行した陸海軍の意向による。軍部は、映画を通じて、日支事変の正当性を国民に訴えるとともに、日本軍がいかに中国民衆の信頼を集めているか、また中国に租界を有する大国の利益を守り、日本が世界の平和のためにいかに貢献しているかについて、宣伝することを目的としたようである。いわば国民大衆の戦意高揚と、正義の戦争の宣伝を旨としたプランであったわけだ。

亀井は映画の製作に当たり、中国の戦場には足を運んでいない。軍部から提供された膨大な記録映像をもとに、それらをモンタージュ技法で編集することで、一遍の映画を作りあげた。軍部の提供した記録映像の全容は知るまでもないが、映画になった部分を見る限り、盧溝橋事件をはじめとした戦闘の場面は出てこない。出てくるのは、日本軍将兵たちによる戦闘の回顧と戦闘が終わった後の上海の町の様子、町を闊歩する日本兵の姿や、町で暮らす中国人たちの表情である。大まかに言えば、前半が日本軍将兵による戦闘の回顧と、戦闘によって上海の町が破壊された様子、後半が中国の民衆の表情を描く、ということになろうか。

戦争を回顧する軍人たちは、自分たちは反日・抗日分子を膺懲するための正義の戦いを遂行したと口を揃えて主張する。また、自分らが上海の治安を維持しているおかげで、列強の租界の利益や中国民衆の生活も安寧でいられるのだと胸を張って言う。自分たちは正義の軍隊なのであり、お人よしの兵隊なのだ。自分たちがお人よしなところは、自分たちが中国民衆に愛されていることに示されている。そう言って映画は、日本軍と中国民衆とがいかに仲良くやっているか、ほほえましい映像を送り届けるのである。

前半の戦闘回顧の中でもっとも印象的なのは、戦死した日本兵を弔う場面が繰り返し出てくることだ。どの部隊も例外なく戦死者を出しているわけで、その戦死者を厚く弔っているところを示すことで、戦死した兵士の家族たちに敬意を表するとともに、国民一般への申し開きをしているつもりなのかもしれない。もっともそれを映画に盛り込んだのは軍部の意向によるものであって、亀井自身の真意がどこにあったかははっきりしない、ということかもしれないが。

この映画は今では国際的に高い評価を受けているが、その理由は後半における中国民衆の描き方にある。映画の後半では、破壊された上海の町にあふれる中国民衆の様子や、彼らが日本軍と接する際の表情が映し出される。日本軍は彼らを被征服者としてではなく、仲のよい隣人として接している。日本軍は飢えた彼らのために大量の食料を提供するばかりか、彼らのために上海の町の復興を手伝っている。そう言って映画は、中国民衆と触れ合う日本軍を映し出すわけだ。だが、その映し出された中国民衆の表情をよく見ると、どう見ても日本軍を信頼している表情ではない。日本軍を警戒し、畏怖し、嫌悪している表情だ。

おそらく亀井は、軍部から提供された膨大な記録映像から、こうした中国民衆の表情を映し出したものを大量に採用することで、中国民衆の日本軍に対する嫌悪感を表現したかったのだろう。それによって、日本軍が行っている戦争行為は、とても批判に耐えられるようなものではないのだ、と言いたかったのかもしれない。

この映画には日本軍の行動を正面から批判しているようなところはない。表向きには、日本軍の将兵が語るところをそのままに紹介しているのであり、その日本軍の将兵と中国民衆とが触れ合う場面を客観的に報道しているだけだ。しかし、よく見ると、そこから戦争批判の声が聞こえてくる。それはなぜかと言うと、中国における日本軍の振る舞いやら彼らに接する中国人の表情から、戦争の不合理さと言うものが聞こえてくるからだ。

戦争映画といえば、戦闘の場面を描くことで、兵士たちの勇敢さや自国の強さ・正しさを主張し、そのことで国民の戦意を高揚するというのが常道だ。この映画のように、戦闘の場面を描かず、戦死した兵士を弔う場面とか、戦争でひどい目にあっている相手国の人々の表情を映し出すというやり方は、どうしても戦争のむなしさを意図せずして強調する効果がある。

映画の最後では、中国の子どもたちが日本の兵隊と触れ合う場面が映し出され、西洋人の神父が日本軍をたたえるところが出てくる。神父は、日本軍が世界平和のためにいっそうの貢献をするように期待しますと言い、子どもたちは日本兵のために歌を歌いながら、ほとんどの子どもがこわばった表情をしている。こうした神父の偽善的ともいえる言葉と、子どもたちの正直な表情を通じて、亀井は何を言おうとしたか。少なくともこの映画の製作を発注した軍部は、そこに反戦の意図を読み取ることはなかったようだ。この映画は日本国内で評判となり、それに気をよくした軍部は、続編ともいうべき「戦ふ兵隊」の製作を亀井に発注したほどだからだ。



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