壺齋散人の 映画探検
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戦ふ兵隊:亀井文夫の戦争映画



先の大戦中には、夥しい数の戦争映画が作られた。無論戦意高揚を目的としたものだったが、それらの映画の少なからざる部分が、勇ましい戦闘シーンや皇軍の大活躍を描いたというよりは、戦争の悲惨さを描いていた。戦場における兵士たちの苦労を描くことによって、銃後に残された家族に、肉親がこんなに苦労しているのだから、自分たちも困苦に耐えてお国にご奉仕しなければならない、という気持にさせることを狙ったのだと解釈されている。しかし、欧米人の眼には、どうもそうは見えないらしく、これらは戦意高揚映画と言うより、厭戦あるいは反戦映画ではないか、との印象を抱くそうである。

たしかに、戦争映画の傑作と言われる田坂具隆監督の「土と兵隊」や「五人の斥候兵」などは、勇ましい戦闘シーンなどは出てこず、ひたすら戦場における兵士たちの苦労や戦友同士の助け合いを描いていた。重い荷物を背負った兵士たちが、ぬかるみのなかを黙々と進んでいく、疲れ切った兵士が足を踏み外して泥んこの中に倒れる、すると隣を歩いていた戦友が、自分自身も疲れ切っているにかかわらず、全力を振り絞って戦友を助け起こす、こんな戦友愛が延々と描かれるわけだが、それを見せられると、兵士同士の友情の尊さを感じないでもないが、むしろ戦争の空しさを感じさせられることもあろう。

ところが、戦争映画の中には、戦争の悲惨さや非人間性を意識的に強調したと思われるものもあった。亀井文夫の「戦ふ兵隊」はその代表格である。この映画は、軍部の検閲に通らないだろうと判断されて、映画会社が自主的にお蔵入りさせた作品である。それほど、戦争に対して否定的な気持ちがストレートに伝わってくる作品だといってよい。

亀井文夫は変わった経歴の持ち主で、ソ連で映画作成技術を覚えた。1936年に「怒涛を蹴って」という戦争映画を作って以来、戦争映画ばかり作り続け、「戦う兵隊」はその第五作目にあたる。「戦う兵隊」は、陸軍の重慶攻略戦の様子を描いたドキュメンタリーもので、陸軍からの要請に応じた作ったものである。陸軍としては、皇軍による重慶攻略の様子を勇ましく紹介してほしかったようなのだが、画面には厭戦気分が溢れているといった具合で、どうしても検閲に通りそうもなかった、ということらしい。

映画は、南京陥落後重慶に退却した国民党政権を追って、長江流域の広大な大地の中を進軍する陸軍兵士の様子を描いている。亀井は陸軍の許可を得て、ある中隊に従軍し、その中隊の戦闘ぶりや日常生活を描くように要請されたのであった。画面には、この映画は陸軍の好意ある協力によって作られたと書かれた字幕が出てくるが、実際そのとおりなのだろう。

映画は、中隊の根拠地の様子を映し出すことから始まる。その根拠地は現地中国人の集落だったところのようだ。抵抗した中国人の家屋が焼かれ、それを老人が呆然とした表情で見つめている。焼け出された中国人たちが、振分荷物を担いで命からがら逃げていく。逃げ遅れたと思われる中国人の男が日本兵によって尋問を受ける。こうした様子が、ドキュメンタリータッチで描き出される。

根拠地を確保した中隊にも、そんなに快適な生活が待っているわけではない。水が悪いし、食料と言えば乾燥食品ばかり。しばしの休息をとると、また果てのない進軍が待っている。そして中隊が根拠地を去ると、その後へすぐ中国人たちが戻ってきて、荒れ果てた土地を耕し始める。

中隊は長江沿いを遡り重慶をめざして進む。負傷して動けなくなった馬は捨てていかねばならぬ。辛い別れだ。ここで「兵隊は死闘している」という字幕が入り、その死闘シーンが映し出される。死闘といっても、兵士たちの交戦する様子を俯瞰的に映し出すのみなので、戦いの迫力は伝わってこない。そのかわりに、中隊幹部の作戦会議の様子が詳しく紹介される。中隊長のまわりに部隊長たちが集まり、彼らに向かって中隊長があれこれと細かい指示をするところだ。

このシーンは、実際の現場を写したものではなく、現場の指揮官たちにわざわざ演技してもらったのだそうだ。これは、陸軍の要請にもとづくドキュメンタリー映画にとってはご法度だったようで、表面化すれば、軍人を俳優代わりに使ったとして制裁を免れなかったということらしい。このことが、映画会社がこれを自主的にお蔵入りさせた最大の原因だとも推測されている。

戦闘で死者が出る。ある兵士の遺骨の前に戦友たちが集まり、その兵士の家族から届けられたと思われる手紙が読み上げられる。私たち残された家族は頑張ってやっています、子どもの写真ができましたのでお送りします、といって子どもを写した写真がアップされ、ついで遺骨を納めた壺が映し出される。この遺骨の主はついに子供の写真を見ることなく死んだ、ということを強調するかのようだ。

兵士たちの朝礼が映し出される。点呼が終ると兵士たちはいっせいに軍人勅諭を斉唱し、その後、皇居の方角に向かって遥拝する。

またまた進軍だ。戦車部隊や飛行機部隊、そして輜重部隊の延々とした行列が映し出される。戦車には一台につき4人の兵士が乗り込む。そしていよいよ目的地の武漢に到着した日本軍は、あっけなく街を占領する。ところどころ廃墟となった建物が映し出されるのは、戦闘があったということなのだろう。

街を占領した日本軍は、メインストリートを行進し、中心部の広場に集結する。それは実際に展開された光景をドキュメンタリー風に記録しているのであろう。だが、その進軍の様子には勇ましさは感じられないし、広場に集結した兵士たちを前に、余興として演奏される音楽は、戦意を高揚させるよりもホームシックを促すようなやるせない感じの曲だ。

ここで、「戦士たちは大いなる事業を果すために荒涼たる戦地を超えてきたのだ」 と書いた字幕が写される。

こんな具合で、この映画はどう見ても戦意高揚の目的にはかなわないと思われる。それどころか、いたるところに反戦気分がただよっていることを指摘できる。これがお蔵入りとなったのには、相当な理由があったといわねばならない。

亀井文夫は、太平洋戦争の勃発直後に、多くの反戦思想の持ち主たちと一緒に逮捕されるのであるが、その理由のひとつに、この映画があったと言われている。





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