壺齋散人の 映画探検
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陸軍:木下恵介の世界



「陸軍」は木下恵介の初期の傑作である。だが傑作というのは、芸術作品としての出来栄えという意味あいにおいてであって、興行的には成功したとはいえなかった。というのも、これは太平洋戦争開戦三周年を記念して、国民の戦意高揚をはかる陸軍の要請に応えて作ったにもかかわらず、とても戦意高揚をもたらすような作品にはならなかった。むしろ厭戦気分を高めるようなものだと、陸軍当局には受け取られたし、この映画を見た当時の日本国民も、この映画によって戦意を高められたとは言えなかった。時あたかも敗戦を目前に控えて、日本中が意気消沈しかかっていた時代である。この映画は、そんな日本人を更に意気消沈させたのではないか。ということで、木下はこの映画を作ったことで陸軍の逆鱗に触れ、以後終戦まで映画作りができなくなってしまったのである。

原作は火野葦平の同名の小説である。火野は陸軍に迎合して多くの戦意高揚小説を書いたが、これもその一つだ。九州小倉に生きたある家族が、親子三代にわたって軍人となり、お国のために尽くしたという他愛ない物語なのだが、それを木下は映画化したわけである。その原作を、木下が自分で選んだか、会社が選んだか、陸軍がこれを採用しろと命令したか、その辺ははっきりしないらしいが、木下が自分で選んだ可能性は低いと思う。というのも木下は、原作のエッセンスをかなり薄めているからである。

原作では、明治維新の前後に騎兵隊に入隊した初代、日清日魯戦争に参戦した二代目、そして太平洋戦争に際して各地の戦場に従軍した三代目の三人の戦いぶりが描かれている。男の眼から戦争を見るという設定になっていて、徹頭徹尾戦いの美学に包まれたものである。

ところが、木下は原作ではささやかな脇役に過ぎなかった二代目の妻であり三代目の母であるワカという女性に大きな役割を与える。そのことで、戦争を男の視点のみからではなく、女の視点でも見るという、複眼的な視点が可能になった。その視点の複眼性が、この映画を芸術作品としてすぐれたものにしているわけである。

映画のなかでは、男たちは軍人として生きることにこだわっている。軍人としてお国のためにつくす、それが日本人として当然で、かつ正しい生き方なのである。そんな男たちの考え方を、女であるワカも否定しない。息子をお国のために差し出すことは、日本人としては当然のことである。だが、やはり息子の安全が気にかかる。そこには当然葛藤がある。その葛藤を描くことによって、この映画は単純な戦争映画を超えて、普遍的な人間性を描いたものたりえたわけであろう。

原作では、初代も二代目も勇ましい人間として書かれているようだが、映画では、初代は軍人になりそこねたものの、お国への奉公という意識に凝り固まった善良な人間として描かれ、二代目(笠智衆)は、病気ばかりしてまともに働けず、除隊したあとは息子の伸太郎が立派な軍人になることに期待している、これもまた善良な人間として描かれている。原作では三人あった息子たちの働きぶりを、映画では一人の息子に集約したのは、そうすることで親子の関係をすっきり浮かび上がらせようとの配慮からだろう。

その息子は、親の期待に反してひ弱な性格で、子どもの頃は泣いてばかりいる。そんな息子に向かって、母親のワカ(田中絹代)が愛の鞭を振るう。行儀が悪いといっては息子を打擲し、水をこわがるのは情けないといっては息子を叱りつける。そのたびに、それを見かねた父親が間に入ってなだめるようなありさま。つまり、この家族は、母親の存在感の方が圧倒的で、しかもそれがいかにもエクセントリックで、要するに「軍国の母」の典型像として描かれているのだ。そのへんのところは、木下が軍部の意向をいれたものと思われる。

ひ弱だった息子が、ついに軍隊に入れることとなって、両親は大いに喜ぶ。父親は、「男の子は天子様のおつかいものだから、(兵隊として)お返しするのは当然だ」といい、母親も、息子が世間並みに軍人になれたことを心の底から喜ぶ。つまり彼らは、息子が普通の日本人なみにお国のために尽くせることが嬉しいのだ。そこには、息子を失うかもしれない、という恐れや悲しみの感情はいささかもないものとして描かれている。その辺も木下が軍部に迎合したことのあらわれなのかもしれない。

軍隊に入れることはできたものの、息子にはなかなか出兵の機会が訪れてこない。息子の親友は上等兵となって、先に戦線に出征した。それを見た両親は、自分たちの息子にも世間並みに出征の機会が与えられることを、複雑な気持ちで期待する。折角軍人になっても、戦線で働く機会がないでは、世間並みとはいえない。両親にとっては、世間並みということが絶対なのである。

しかし、息子にもついに出征の時期がやって来る。それを報告に来た息子を前に、両親は誇らしい顔を見せる。父親は、「己をむなしくし、ひたすら大君につかえたてまつれ」と息子を叱咤激励し、母親も息子の出征を心から喜ぶ顔を見せる。そんな両親に送り出された息子は、いよいよ戦線に向かって出征して行くのだ。

最後のシーンは、日本の戦争映画史上もっとも有名になった場面だ。出征兵士たちが、博多の街を行進する。それを何万人もの群衆が見送る。母親は、息子に涙を見せてはいけないからといって、行進を見にいくのを憚っている。小さな声で軍人勅諭を暗唱することで、息子を軍人らしく立派に送り出したいと願うばかりだ。しかし行進の隊列が家の近くに迫って来たらしく、進軍ラッパの音が聞こえてくる。すると母親は、何かにつかれたように、行進の行列へと向かって走っていくのである。

博多の街を何千人もの兵士たちが行進し、それを何万人という群衆が歓呼の声を上げて見送る。その群衆の波に、母親は自分も呑まれていって、息子の姿を追う。やっと息子の背中を見つけた母親は、息子に向かって何とも言えない表情を見せる。息子はそれに応えて微笑みを返す。感極まった母親は群衆の波に呑まれながら、力の限りをしぼって息子の隊列に寄り添う。この延々と続く声なき場面が、この映画の圧巻である。

これを見た当時の観客が、どんな風に受け取ったかは、単純に言えることではないと思うが、少なくとも軍部は腹を立てたわけである。女のメソメソした顔ばかり出て来るのでは、戦意高揚どころか厭世観を煽るのみだと。逆にいえば、軍部にそう思わせる程、木下の演出もともかく、田中絹代の演技もすさまじかったということだ。この映画の中の田中絹代は、まだ35歳になっていないはずだ。その女盛りともいうべき年齢にして、田中絹代は「軍国の母」を堂々と演じている。この映画がお蔵入りの運命を免れて一般公開されたのは、田中絹代の「軍国の母」ぶりに、軍部が敬意を表した表れともいえよう。

それはともあれ、木下としては、前半の部分で最大限軍部にサービスしたのだから、最後の場面くらいは自分の好きなように作りたいと思ったのかもしれない。彼には、軍部や戦争を真正面から批判しようという意図はなく、ただ人間の生き方を率直に描きたかっただけなのだと思う。その思いが、この最後の場面に集約されたのだろう。

木下の意図はともかく、この映画は実によく作られているといってよい。ストーリー展開の論理性といい、人間の感情の自然な表現といい、時たまかいまみえる風刺の精神といい、木下の木下らしさともいうべき要素がすでに出そろっている。




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