壺齋散人の 映画探検
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木下恵介の世界「喜びも悲しみも幾歳月」:灯台守の夫婦の半生



木下恵介は観客の涙を搾り取る名人との評価が高いが、なかでも「喜びも悲しみも幾歳月」は、日本中のひとびとの涙をしぼりとったことで定評がある。なにしろ昭和天皇ご一家もこれを見て涙ぐんだと伝わっているから、それこそ天上天下あらゆる日本人が泣かされたといってよい。かくいう筆者も、後にテレビでこの映画を見て(というのも封切り当時筆者はまだ子どもだったから)、感動の涙を流したひとりだ。この映画のなにが、人々をかくも感動せしむるのか。

この映画は、名もない庶民の半生を年代記風に描いたものである。ひとりの灯台職員が、上海事件の直後にひとりの女性と結婚し、日本各地の灯台を転々としつつ、喜びと悲しみを交互に味わいながら、ともに老いていく過程を描いている。ときあたかも戦時中から戦後の混乱期に重なっているから、それなりに世相の厳しさも描かれているが、焦点はあくまでも、灯台職員一家の深い家族愛であり、また仲間たちとの強い連帯感である。困難な時代にかかわらず、この人たちがけなげに生きてこられたのは、このような人間同士の結びつきに支えられていたからだ。そんな光景を画面のなかに見て、人々はそこに深く訴えられるものを感じ、感動の涙を流したのではないか。

筋書きらしいものはない。数年ごとに灯台を異動していくことが筋といえるのかもしれない。異動するたびに、自然や生活環境が激変する。その激変に耐えて生きていけるのは、家族同士の深い結びつきと仲間との暖かい連帯感があるからだ。特に、高峰秀子演じる妻は、夫に対しては貞淑に、子供たちに対しては慈愛深く、仲間たちに対しては礼儀正しい。いってみれば、日本人女性の鑑ともいえるような人だ。かつては、このような女性たちがあちこちにいて、日本社会を底辺で支えていたのかも知れない。

舞台となる灯台は、三浦半島の観音崎に始まり、北海道の石狩、長崎県沖の孤島女島、佐渡の弾崎、そして静岡県の御前崎で終戦を迎えた後、志摩半島の安乗、瀬戸内海の男木島を経て、再び御前崎に灯台長として戻ってくる。主人公の佐田啓二が劇中に語るところによれば、日本全国にある灯台の数は750にのぼるのだそうだ。ほとんどの灯台は人里離れた僻地にある。女島のごときは、絶海の孤島だ。だから、夫婦喧嘩をしても、家出するところもない。そんなところに比べれば、佐渡の灯台でも日本の真ん中にあるように感じられる。

その佐渡を舞台に出征兵士を見送るシーンが映し出される。そこでひとりの灯台員が土地の若者と喧嘩をする。土地の若者から、お前たちは兵役を逃れるために灯台員になったのだろうと、侮辱されたからだ。しかし、灯台員でも決して安全であるわけではない。その証拠に、戦争末期空襲が頻繁になると、灯台を守っていた多くの職員が殉職するのである。

この夫婦にとって一番つらかったことは、息子に死なれたことだ。その死に際に、父親はかけつけてやることができなかった。灯台を守らねばならなかったからだ。その息子が、死に際に、父親の後をついで灯台員になるといった。それを後で聞いた父親は、灯台のある島に船で戻ってくる途中、息子の骨が入った壺を高く掲げて灯台を見せてやるのである。

一番うれしかったことは、娘が愛する人と結ばれたことだ。この娘は父親が自分の手で取り上げた子だ。眼のなかに入れても痛くないほどいとおしい娘だ。その娘が、結婚直後にエジプトのカイロに旅立っていく。夫となる人が、世界をまたにかける商社のエリートなのだ。娘たちの乗っている船は、御前崎の沖を通っていく。両親は、その船に向かって灯りをかざし、霧笛を鳴らして門出を祝ってやる。すると船からも返礼の霧笛を鳴らしてくる。

この場面は、いかにもつけたしのようで、あらずもがなという批判もあったようだ。岩崎昶などは、この場面を評して、それまで「地の塩」として生きてきた夫婦が、突然俗臭芬々たる小市民父母に成り下がってしまった、と厳しいことを言っている(「日本映画作家論」木下恵介の幾歳月)。

しかし、娘の門出を灯台の霧笛で祝ってやるというのは、なかなか素敵なことではないか。この夫婦にとって、灯台は人生そのものだ。その自分たちの人生の証である灯台から娘たちの門出を祝うなんて、なかなかすばらしい発想ではないか。おそらく木下は最初にそう感じてこのシーンを構想したのではないか。それゆえにこそこの場面は、もっとも多くの人々を泣かせたわけであろう。

この映画の中の高峰秀子はすばらしい。高峰秀子といえば、吠える女優というイメージが強いが、この映画の中の彼女は、ほとんど吠えていない。一度だけ夫婦喧嘩の場面があるが、そこでも彼女は吠えていない。吠える代わりに、彼女は夫や子供たちをいつも暖かく包んでいる。その姿は神々しいほどだ。彼女はすでに、「二十四の瞳」を初めとする木下恵介作品や一連の成瀬巳喜男作品を通じて大女優の名声を獲得していたが、この作品によって、一躍国民的女優になったといってもよい。

なお、この映画は主題歌もいい。映画のなかではコーラスのかたちで歌われているが、若山彰の歌声でシングルカットされ、大ヒットした。「おいら岬の燈台守は」で始まる歌詞もさることながら、哀切なメロディは多くの日本人の心をつかんだものだ。



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