壺齋散人の 映画探検
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木下恵介「楢山節考」:深沢七郎の小説を映画化



木下恵介の映画「楢山節考」は、深沢七郎の同名の小説を映画化したものである。深沢はこれを、姨捨山伝説に取材したといっている。姨捨山伝説とは、大和物語に出てくる老母虐待の話で、老母を山中に捨てた息子が自分の行為を後悔して、「我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」と歌ったというものである。しかし、これは一人の親不孝な男の物語であって、棄老の風習があったということではない。それを深沢は、あたかも日本の古い時代に、現実に棄老の風習があったかのように描いたわけである。

深沢の小説では、信州のある部落(姨捨山のある処)に、代々姨捨の風習が伝わっており、その風習に従ってひとりの老女が、山に入る決意をする。山は楢山といって、部落の人々は神聖な山としてあがめている。そこに入ることは、実際には死ぬことを意味するのだが、部落の人々は神様のいるところに行くのだと伝えている。それを人々は「楢山さまにお参りする」といっているのである。

老女には一人の息子と4人の孫がいるが、この息子は親孝行で、母親を楢山に捨ててくるなど、とてもできないと思っている。この息子の後妻になった女も、老女の人柄にうたれて、いつまでも一緒に暮らしていたいと思うようになる。それゆえ、老女を楢山に捨てるというのは、大和物語の場合とは違って、息子の意思ではなく老女の意思にもとづくのであり、その背景には部落共同体の風習があったというふうになっている。この物語はだから、大和物語のように親子の対立を描いたのではなく、共同体と個人の関係を描いたものだということができる。しかし、その対立は歴史上実在したものではなく、あくまでも深沢の想像に根差しているわけである。

この、深沢の想像にもとづく物語を、木下恵介はかなり忠実に再現した。しかし、その再現の仕方は一風かわっていた。木下はこの映画を、いわゆる映画らしくではなく、演劇的に作ったのである。映画は、黒子が鳴らす拍子木の音とともに、歌舞伎舞台と同じような幕が落されるところから始まる。背景も、歌舞伎舞台と同じような仕掛けで展開していく。それに長唄の伴奏が伴う。というより、この映画は全編に長唄と浄瑠璃が流れており、歌舞伎のように作られているのである。木下は、この物語があまりにも陰惨なので、これを原作通りリアルに描いたのではどぎつすぎると思って、このように様式的に描いたのではないか。

舞台はすべてセットで設定されている。そのセットは、いかにも様式的で、作り物だという印象を与える。木下は、この映画を現実の物語ではなく、あくまでも作り物として見てもらいたい、と思ったのだろう。歌舞伎もどきの作り物であるから、カメラワークも、あたかも歌舞伎の舞台を写しているかのように進められる。映画に特有な技術は極力遠ざけられ、ロングでかつ静的な画面展開が中心となる。まるで、歌舞伎舞台の実況中継であるかのように。

この映画の最大のポイントは、共同体の抑圧的な力によって、個人が押しつぶされていく過程を描いているところにある。それはひとつには、主人公のおりん婆さん(田中絹代)に、伝統にしたがって楢山参りをするように強制する力として働く。映画の中では、おりん婆さんは、貧しい一家の口べらしをするために、早く楢山参りをしようと決断することになっているが、彼女が楢山参りをする本質的な理由は、やはり共同体の伝統に従うということなのである。彼女の生みの親も、また嫁ぎ先の舅たちも、楢山参りをした。だから自分もその例に倣わなければならないと考えている。そんな彼女に孫のひとりが、とっとと早く楢山に行けと罵るが、これは孫の口を借りた共同体の意思表示と見えなくもない。共同体の意思は逃れることが出来ないとされているわけだ。

もうひとつ、共同体の秩序を乱した者に、共同体が罰を加える場面が出てくる。貧しさのために泥棒を働いた男が、共同体の全員によってリンチを加えられるばかりか、その家族(12人もいる)も、ひとり残らず消されてしまう。実際こんなことが、昔の日本で起こったのかと疑問がわかないでもないが、この映画では、共同体は個人の意思を押しつぶす、不気味なものとして描かれているのである。

映画の見どころのひとつに、楢山参りを決意したおりん婆さんが、部落の長老たちから、楢山参りをするについての心得を聞かされる場面がある。おりん婆さんと倅の辰平(高橋貞二)のわきに六人の長老たちが一列に並び、聖水を回し飲みしながら、ひとりひとり心得を説いていく。出かける時は誰にも見られてはならない、口をきいてはならない、振り返ってはならない、そして楢山に至る道順である。その場面を写す間、カメラは固定されて動かない。まるで、舞台を遠回しに映し出しているかのように。

クライマックスは、おりん婆さんが倅の辰平に背負われて楢山に向かうシーンである。ふたりの出発を後妻の玉やん(望月優子)が見送る。楢山が近づくにつれて、辰平は母親に話しかけるが、おりん婆さんは答えようとしない。ついに楢山の入口にある鳥居の所にたどり着く。ここまでくれば、山には入らずに引き返すという選択もあるうるのだ、と倅は長老の一人からひっそりと聞かされていたのだったが、意を決して鳥居をくぐる。鳥居をくぐった先には、人骨が累々と重なり、異様な光景が広がる。その一角に、おりん婆さんは蓆を敷き、その上に座す。持参してきた二つの握り飯のうち、ひとつは自分のために残し、一つを倅にわたす。こうして、蓆のうえにわだまかりながら、神様のお迎えを待つのである。

泣きながら引き返した倅は、途中で雪が降り出したことで気を取り乱し、母親のところに急いで舞い戻って、「おっかあ、雪が降って来たよ」と呼びかける。しかし、母親はあっちへ行けと手で仕草をし、答える様子を見せない。雪は神様からのお迎えの使者なのだといわんばかりに。

最後の場面で、後妻の玉やんが亭主に向かっていう言葉、「わたしらも70になったら、いっしょに山に行くんだわ」が印象的だ。この二人は同い年だから、もし70まで共に生きたら、一緒に山に行くことになるだろう。



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