壺齋散人の 映画探検
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赤ひげ:黒沢明の世界



黒沢明の映画「赤ひげ」は、ある種のスーパーマンを描いている点で、「用心棒」や「椿三十郎」の延長線上の作品といえなくもないが、違うところもある。桑畑三十郎や椿三十郎が、スーパーマン過ぎて人間ばなれしたところがあるのに対して、「赤ひげ」と呼ばれる医師は実に人間的なのだ。彼は一人の人間として、社会で確固たる居場所を持ち、周囲の者から深い尊敬を集めるばかりか、弟子の若者を立派な人間に教育する人格者でもある。それでいて腕っ節もめっぽう強い。人間として少しも落ち度のない理想的な人間だ。黒沢はそんな人間像を描くことで、自分の人間に対するこだわりについて、ひとつの形を与えたかったのではないか。自分の映画作りの集大成として。

実際この映画に対する黒沢の思い入れは大変なものだったらしい。制作に二年間もかけ、足りない費用を賄うために自宅を抵当に入れてまで借金したことからも、その思い入れの強さが伝わってくる。日本の興行映画としては、これがかれにとって、実質的に最後の作品となった。

山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」を下敷きにし、それに様々なエピソードを絡み合わせてストーリーを作り上げている。ストーリーといっても、物語としてまとまったものではなく、診療所内外の日常生活を淡々と描いたものだ。その日常生活というのが、徳川時代の貧しい庶民たちの悲惨な生活であって、赤ひげは、そんな悲惨な状態を放置している政治の貧困を厳しく批判しながらも、自分でできる限りのことを尽くすことに人間としての矜持を感じている。そして師のそんな生きざまを目の前に見ながら、弟子の若者が逞しく成長していく過程が描かれる。それゆえこれは、黒沢流の教養映画と言ってもよい。

舞台となった小石川養生所は徳川時代に設置されていた貧民向きの療養施設である。八代将軍吉宗の時代に、小石川伝法院の町医者小川笙船の提案にもとづいて設置され、笙船自身が初代の所長に就任した。この赤ひげ先生とあだなされた笙船が主人公のモデルなのだが、小説や映画の中では新出去定という名前になっている。

実在の小石川養生所での治療はあくまでも漢方医学に基づくもので、薬餌療法が中心であったが、映画の中では、赤ひげ(三船敏郎)は外科的な治療もすることになっていて、弟子入りする保本登(加山雄三)は、長崎で西洋医学を学んだということになっている。

その保本が、小石川養生所を訪ねてくるところから映画は始まる。この映画は、以後終始一貫して保本の視線に沿って描かれる。保本は長崎留学から帰ったばかりで、将軍の御目見え医師になることを夢見ている。ところが、周囲の取り計らいによって、小石川養生所で勤務するように命じられる。それが不満の保本は、ふてくされてことごとく赤ひげに抵抗する。そんな彼らを巡って、養生所内では様々な人間ドラマが展開していく。そんな人間ドラマに、保本もしらずしらずのうちに巻き込まれていくというわけなのである。

前半では、六助(藤原鎌足)とその家族の不幸な過去や佐八(山崎務)とその女房(桑野みゆき)の悲恋の物語が語られた後、保本が次第に医師としての自覚を高めていく過程が描かれる。自覚が高まったところで保本は、赤ひげからひとりの患者をあてがわれる。おとよ(仁木てるみ)という少女である。この少女は岡場所で売春を強制されかかっているところを、赤ひげによって助けられ、保本の手にゆだねられるのである。

赤ひげと保本がこの岡場所を訪ねるところが、映画の中のひとつの見せ場になっている。赤ひげはさる大名や富裕な町人から養生所の運転資金を巻き上げた後ここに立ち寄るのだが、少女が心身ともに病んでいることに心を打たれ、連れ帰ろうとするところを、女衒の女が腹を立てて用心棒のヤクザどもたちを呼び寄せる。そのヤクザどもに向かって赤ひげは、今日は機嫌が悪いから、お前たちの骨を叩き割るかもしれんぞ、と脅かす。その言葉通り、10人ばかりいたヤクザどもは次々と、手足の骨を折られたり、あごの骨を外されたりする。武器を使わず素手で相手を打ちのめすシーンが、何ともいえず迫力がある。黒沢にとってヒーローとは、常に暴力と切り離せないものなのだと、変に納得させられる。

後半はおとよという少女と保本の心の触れ合いが中心となって描かれる。心を病んで人の親切を受け入れられなくなったおとよは、さんざん保本をてこずらせる。しかし保本の無心の看病に接しているうちに次第に心を開くようになる。そこにこねずみとあだ名された少年が現れる。この少年は家が貧しくて泥棒をするようになり、養生所にも粥を盗みに侵入してくるのだが、そんな少年におとよは、同情するようになる。そのことを聞いた赤ひげは、それは少女が人間らしい感情を取り戻しつつある証拠だと言って喜ぶ。

映画のクライマックスは、この少年の一家が心中をして、養生所に運び込まれる場面だ。瀕死の少年に向かっておとよが心配そうに手を差し伸べる。すると女たちが奇声を発する音が聞こえてくる。死にそうになっている人間の名前を井戸に向かって叫べば、その人間をこの世に連れ戻すことが出来るという言い伝えがあるというのだ。そこでおとよも一緒になって、井戸の底に向かって少年の名前を叫び続ける。その甲斐があったかどうか、少年は何とか生き返ることが出来る。

こんな訳でこの映画は、庶民の悲惨な生活を暗いタッチで描きながら、それでも健気に生きようとする姿のある種の尊さについて訴えているように見える。そんなことからこの映画は、一部から「どろくさいヒューマニズムだ」と言われて評判が良くなかった。

ひとつは時代背景とのミスマッチといったこともあったのだろう。この映画が公開された1965年の正月は、前年に東京オリンピックを成功させたばかりだったし、日本は高度成長に向かって驀進しつつあった。世の中は景気が良く、人々の心は明るかったのである。そんな中で、徳川時代の庶民の悲惨さについて訴えかけられて、実感できるものでもなく、また、ヒューマニズムについて御託宣を聞かされるよりも、明日の生活が少しでも良くなるという見込みの方が意味があった。実際当時の人々の多くが、明日に希望が持てた時代だったのである。

医者を主人公にしている点で、「酔いどれ天使」と比較されることもあるが、「酔いどれ天使」とはやはりかなり違っている。酔いどれ天使の医者は落ちぶれた町医者で、彼が気にかけている若者は街のヤクザ者であり、そこにはあまり意味のある人間関係は見出すことが出来ない。彼らの人間関係は、得体のしれない友情に支えられているだけだ。

それに対して赤ひげは、医師としての使命感に燃え、事実立派な医師として尊敬されている。また弟子の若者は、師の後ろ姿を見ながら医師として成長していく。そこには、「酔いどれ天使」にはなかった前向きさが感じられる。酔いどれ天使たちの友情には普遍的な要素は感じられないが、赤ひげたちの人間関係には、人間としての普遍性を感じさせるところがある。

この映画の最後は、保本が御目見え医という出世コースを棒に振って、赤ひげと共に養生所に残る決心をするところを映し出している。それを見た観客は、崇高な師弟愛のようなものを感じるに違いない。黒沢が生涯のテーマとしたかに見える、男同士の友愛が、ここにもこういう形であらわれているわけである。




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