壺齋散人の 映画探検
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生きものの記録:黒澤明



「生きものの記録」は、黒沢には珍しく、時事問題を正面から取り上げた社会派ドラマ映画である。この映画が作られた1950年は、米ソ冷戦が過熱して、核軍拡競争が繰り広げられていた。軍拡競争の最たるものは核開発競争だ。そのあおりでビキニ環礁の水爆実験の犠牲者が日本人から出た。広島・長崎に原爆を落とされてから数年しか経っていない時点で、またもや原水爆の脅威にさらされた日本人の中には、この世の終わりが近いという深刻な恐怖を抱くものが出たのも不思議ではない。この映画は、そうした日本人の原水爆への恐怖をテーマにしたものだ。

映画は、町工場の社長が、子どもたちによって準禁治産者の申し手立てをなされ、それについての家庭裁判所の審判手続きが開始されるところから始まる。申し立ての内容というのは次のようなものだ。原水爆によって日本が滅びることを深刻に恐れた父親が、家族全員を伴ってブラジルに移民する計画を立てている。家族の中には、三組の妾の家族も含まれている。あわせると大変な人数だ。その人数を引き連れてブラジルへ移民しようとこの父親は計画を立てたわけだが、それに子どもたちが大反対、父親のやっていることが気違いじみて見えるばかりか、その計画に大金を投じて破産する可能性さえあるので、子どもたちは父親を準禁治産者にすることで、父親の狂気から財産を守ろうというのである。

家庭裁判所の審判は、裁判所の判事のほかに二人の審判員が担当する。彼らは非常勤の職員で、なかば名誉職のようなものである。その審判員に、歯科医師会の代表として志村喬演じる歯科医師が加わっている。志村は、申し立ての内容や、被申立人である父親(三船敏郎)の話を聞いて、問題を単純化することができない。外の二人は問題を単純化して、父親を禁治産者にするのはやむを得ないと考えるのだが、志村は父親の言い分にも一理あることを認めざるを得ないのだ。その言い分とは、原水爆で死ぬのは仕方が無いことかもしれぬが、座して殺されるのを待つのはまっぴらだというものだった。生きる可能性がある限りは、その可能性を求めて精一杯頑張る。それが人間の道ではないのか、それをなにも考えずになりゆきに流され、座して殺されるのを待つのは到底受け入れられない。そう父親は主張し、その主張に志村は同感するのだ。

結局父親は禁治産者に指定されてしまうが、そんなことでへこたれる人間ではない。なにしろ命がかかっているのだ。自分の命ばかりか、家族や妾たちの命も救ってやりたい、そう思う一心で、ブラジル移住計画を進める。ところがそれに子どもたちがうんと言わない。どうやら子どもたちは、どんなことがあっても日本に残り、父親の残した工場をたよりに生きていくつもりらしい、そう感じ取った父親は工場に自分で火を付けて子どもたちの望みを絶ちきり、一緒にブラジルに行く気にさせようとする。だが子どもたちは最後まで父親の言うことを聞かない。父親のやることはもはや常規を逸脱して狂気の境に徘徊しているのであるから、彼にふさわしい場所、つまり精神病院に閉じ込めるのがふさわしい、という判断から、父親を精神病院に隔離してしまうのである。隔離された父親は、そのことで本当の狂気に陥り、自分が安全な星に避難して地球の最後を見届ける気になっている。

こんなわけで、この父親は、原水爆に対する並外れた恐怖心が狂気と受け取られて、この世から事実上抹殺されて仕舞うのだ。そんな父親を見た志村は、複雑な感情を禁じ得ない。一体正しいのはどちらなのだ、それが彼には一義的に決められないからだ。父親はたしかに原水爆に対して異常な恐怖心を持ち、それが傍目には狂気と映るのだが、しかしその傍目を注いでいる息子たちにしても、果たして正気といえるのだろうか。原水爆が地球を破壊する可能性は、無視できるほどのものではなく、かえって米ソが核戦争をする可能性は、五分五分といってよいほど高いと思われていた。そんななかで、原水爆による破壊の可能性を一切考えることなく、不都合なことに目をつぶって生きている人たちのほうがよほど狂気じみているのではないか、そういう印象をこの映画は見る者に与える。

この映画が描き出していることは、もはや過ぎ去った過去のことではなく、現代の日本でも深刻な問題としてくすぶっている。現代の日本でも、総理大臣自らが隣国の北朝鮮を挑発して、戦争も辞さないといった態度を示している。だがいざ戦争となれば、日本にも原水爆が飛んできて、夥しい数の日本人が死ぬ可能性は高い。にもかかわらず時の総理大臣は、そうした不都合なことには一切触れようとしない。自分にとって不都合なことは、起こって欲しくないし、起こってほしくないことは起こらないことにしておいたほうが都合がよい、と言わんばかりの態度を取っている。その態度たるや、黒沢がこの映画で描いた子どもたちの態度に通じるものがある。それゆえこの映画を見ると、日本人はあいかわらず変わっていないのだとつくづく感じさせられるのである。

父親を演じた三船敏郎は、この時三十代半ばだった。それが七十歳の老人を演じたわけだが、やはり三十代なかばで七十歳の老人を演じるのは難しいと見える。表情はなんとか老人らしく見せられても、動作や声の張りにはどうしても若さを感じてしまう。




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