壺齋散人の 映画探検
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山椒大夫:溝口健二の世界



山椒大夫は、中世以来の民衆芸能・説経節の人気演目である。森鴎外はそれをもとに美しくも悲しい物語を書いたわけだが、溝口健二はそれを比類ない映像芸術に作り上げた。森鴎外が鷗外なりの解釈を加えているように、溝口もまた溝口流の解釈を加え、独自の作品に作り上げた。その結果この映画は、前の二作(西鶴一代女と雨月物語)に続いて、溝口に国際映画賞(ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞)をもたらした。

説経節の山椒大夫は、中世の日本に存在した譜代下人とよばれる奴隷的境遇の人々(被差別民)を描いたものである。説経節を語った人々自身が差別される立場の人々であったわけだが、そうした被差別境遇の立場から、人間が人間を差別し、虐待することへの強い反発や怨念を、説経語りの中に盛り込んだ。その怨念の強烈さが、聞くものをして身震いするような感動を覚えさせたのである。

こんなことから、説経節の山椒大夫には極めて残虐な場面が多い。安寿は、厨子王丸を逃した咎で、これでもかこれでもかと責められて、なぶり殺しにされるし、出世した厨子王は、姉の仇だといって、山椒大夫の首を息子の三郎に竹鋸で引かせ、これもまた残酷な殺し方をしている。

森鴎外は、原作の説経節にあったこうした残酷さを切り捨てて、もっとスマートな物語に仕立て直した。鴎外にとっては、人間同士の残酷な関わり方や、怨念による復讐といったテーマよりも、親子や姉弟の間の人間愛の方が、はるかに大事なテーマだったわけである。それ故、鴎外の作品では、安寿たちの苦痛はさらりと描かれる一方、厨子王による復讐にも触れることなく、最後は厨子王と母親との感動的な再会に力点が置かれている。

では、溝口はこの物語をどのように作り直したのであろうか。溝口は原作のもっていた残酷な要素は、なるべく残そうとした。そうした残酷さは、脱走を図った下人たちが、額に焼きを入れられる場面などに現れており、見ていて吐き気を催しそうである。日本人でさえそうなのであるから、外国人がみたら、さぞ驚き、日本人というのはなんと野蛮な人間たちかと思うことだろう。

その一方、厨子王による復讐はさらりと描いている。説経節では、息子の三郎に親父の首を引かせるわけだが、この映画の中では、国主となった厨子王が、山椒大夫に搾取される下人を開放したうえで、山椒大夫を国外追放するのみだ。だが、そこのところが、なかなか興味を引く作り方になっている。山椒大夫は中央権力の及ばない荘園に属している故、国主といえども、勝手に処分することはできない。そういう制約がある中で、厨子王は国主としての権限を最大限有効に使い、なんとか山椒大夫を懲らしめてやろうとする。その成果が、山椒大夫に搾取されている譜代下人たちの解放であり、山椒大夫の国外追放であるというわけなのである。

こんな筋書きは、原作の説経節の中にも見当たらないし、鴎外もまた考えることはなかった。溝口が新たに考え出した、彼独自の筋書きなのである。恐らくそれには、当時の日本の事情がある程度反映していたのだと思われる。当時の日本は敗戦を契機にして、俄に民主主義の世の中になり、人々は平等だという思想がもてはやされるようになっていた。溝口はそういう時代の事情に反応したのだろうと思われるのである。溝口は自らを日本のマッカーサーに見立て、山椒大夫を古い日本の抑圧の象徴と見立てて、山椒大夫を追放し、民衆を彼のくびきから解放してやった。だからこの映画は、封建的な抑圧からの民衆の解放の物語なのだと、そんなふうに受け取れるフシがある。

映画は父子の別れの場面から始まる。そこで厨子王は父親から教訓の言葉とともに、観音像を渡される。言葉とは、人間はみな平等で、人は人を慈しまねばならぬ、というものだった。厨子王はこの言葉を心に刻んで、逆境にあっても人間らしく生き、また最後には虐げられた人々を開放しようと決意するわけである。

映画の中では、その厨子王の方が兄ということになっている。数年後、子どもたちがある程度成長したところで、母親(田中絹代)は子どもたちを連れ、夫の無罪を晴らすために都を目指す。その途中、野宿しているところを巫女と称する女から声をかけられ、その家に連れて行かれる。巫女は一夜の宿を貸した後で、母子を船で送ってやろうといって海辺に連れて行く。ところが実は、船頭たちと共謀して、親子を人買いに売り飛ばす心算だったのだ。原作では、母子は山岡大夫というものに騙されることになっている。それを何故巫女に変えたのか、必然性は見当たらない。溝口は神道嫌いなのかもしれない。

子どもたちは転々した挙句に丹後の山椒大夫(進藤栄太郎)のもとに売られていく。そこで兄妹は言語に絶する苦痛を味わう。一方母親の方は佐渡に売られていくが、そこで、動き回らないようにと、足の筋を切られてしまう。とにかく残酷なシーンが盛り沢山なのだ。

数年して兄妹は成長した姿で現れる。兄の厨子王は花柳喜章、妹の安寿は香川京子である。原作では、まだ幼い二人のうちでも、姉の安寿が厨子王を気遣い、最期には自分が犠牲になって厨子王を逃すのであるが、この映画では、妹が兄を叱咤激励して脱走させるという形になっている。その叱咤激励ぶりが印象的だ。脱走してもそのあとの見込みがないからと尻込みする兄の厨子王に向かって、妹の安寿は、そんなことをいって、懐の観音様に恥ずかしくないのかといい、わたしの兄さんはこんな人じゃなかった、と批判するのである。そういわれては、兄も奮発せざるをえないというわけだ。

妹はその後、入水して自殺する。原作では山椒大夫らによってなぶり殺しにされるのであるが、溝口はそれを意識的に避けたわけであろう。

一方、脱走した厨子王は、京都へやってきて、関白の邸に忍び込んで直訴する。この辺は原作では、逃亡途中いざりとなった厨子王が、乞食たちに土車に乗せられ天王寺までやってきて、そこで奇跡の再生を遂げるということになっている。天王子は日本の中世社会にあって、虐げられたものが最後のよりどころと頼むアジールだったのである。

映画では、厨子王父子の運命を良く知っている関白に身を立てられて、厨子王は丹後の国主に出世する。そこで厨子王は、山椒大夫に復讐するとともに、下人たちを開放してやろうと思うのだが、山椒大夫は国主の権限が及ばない荘園のものであるから、そんなことはならぬと、関白からきつくいいつかる。それでも厨子王は志を曲げることが出来ず、なんとかして己の意思を通そうとする。

こうして半ば違法なかたちで、厨子王は山椒大夫を国外追放に処し、譜代下人たちを開放するのである。山椒大夫の没落は、広大な屋敷が炎上するシーンで暗示させられている。

最期は、佐渡に渡った厨子王が、母と感動的な再会を果たす場面だ。荒涼たる砂浜を舞台に、足の筋を切られ、眼の見えなくなった母親が、厨子王恋しや、安寿恋しや、と切なげに歌っている。そこへ厨子王が近づいて行って声をかける。はじめは自分をなぶりものにするのかといぶかっていた母親も、厨子王が差し出した観音像を手探りするうち、これは我が子だと気づく。こうして二人は抱きしめあい、再会の喜びを確かめあうのである。

こうしてみると、この映画には、かなり無理な部分があるのだが、それは上述したような時代背景に理由があるのであって、溝口としては、中世以来日本の民衆の心をとらえ続けてきたこの作品を、自分なりの視点から再構成しようとした、そんなふうに受け取れるのである。




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