壺齋散人の 映画探検
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一人息子:小津安二郎の世界



山田洋次監督の「東京家族」に刺激されて「東京物語」を見たのがきっかけとなり、ここでひとつ、小津安二郎の映画を一とおり見てみたいという気持になった。その手始めに見たのが「一人息子」である。昭和11年の作品だ。小津が作ったトーキー映画の最初の傑作と言うことになっている。これをDVDで見たのだが、なにせ古い作品だということもあって保存状態がよくない。とりわけ音声が大分乱れている。それでも不便を忍んで見ただけの価値はあった。

テーマは母子関係だ。信州のある街で紡績会社の女工をしながら女手ひとつで息子を育てている母親が、息子から中学校に進学したいとねだられる。家にはそんな余裕のあるはずもなく、はじめは相手にしていなかった母親だが、息子の希望があまりにも強いことに折れて、息子を進学させる決意をする。母親は、息子の出世にすべてを託し、それだけを励みにして生きる決意をするのだ。

ところが、成人した息子を東京に訪ねた母親を待っていたのは、あまり見たくもない光景だった。息子は自分の知らないうちに結婚して子供まであり、かつ生活も苦しいようだ。てっきり出世していたものと思っていたのは大間違い。何のためにすべてを犠牲にして息子に望みを託したのか、母親は当初は裏切られた気持ちになる。そういったありふれた母子関係が中心テーマである。

息子の少年時代を描いた一齣の後に、画面は十数年後の東京に飛ぶ。成長した息子に会いにやってきた母親を、息子が迎えるシーンだ。信州からの列車は上野駅に着くはずだから、息子はそこで母親を出迎えてタクシーに乗せたに違いない。そのタクシーが永代橋を渡って深川に入り、埋め立て地のような荒涼たる一角に到着する。その近所には四本の煙突が見え、それがどうやら深川枝川町に戦前あった東京市のごみ焼却場らしいので、息子が住んでいる家はどうやら深川の地先にあるように思われる。東京とはいっても、場末のさびしい場所であることは、東京物語の荒川河川敷と同様の設定だ。親たちはまず子供が住んでいる場所を見せられることによって、自分の期待が裏切られつつあることを直感するわけである。

この荒涼たる場所で母子のやり取りが繰り広げられる。息子のほうから口火を切る。息子は母親の自分への期待が大きいことを十分にわかっているので、自分がその期待に応えていないことに罪悪感のようなものを感じている。母親も息子が出世するどころか、いまでは出世しようとする意欲もなくしていることが気に入らない、まだ若いのであるからこれからでも出世しようとすれば機会はあるはずだ。そういって息子を叱咤激励する。短いやり取りだが、息を継がせないような迫力を感じさせる。

息子にはがっかりさせられた母親だが、そんな息子を見直すような出来事が起きる。隣には貧しい母子家庭が住んでいるのだが、そこの長男が遊んでいる最中に大けがをする。貧しい母親には入院させるだけのゆとりがない。するとその窮状を察した息子がなけなしの金をはたいてその母親に差し出すのである。その金は、母親に東京見物をさせるために、息子の妻が自分の着物を売って手にした金なのであった。その様子を見ていた母親は感動して叫ぶ。わたしはお前のことを鼻が高く思う、出世するばかりが人間の生き方ではないと。

この映画は、昭和十一年という時代を背景にしている。昭和十一年と言えば、2.26事件が起きた年であり、日本が急速に軍国主義に突き進んでいた時代である。しかし、映画の中では、そうした時代背景は表面には出てこない。ただ主人公の母親を含めて配偶者を欠いた女性たちが登場するのは、懲役の影を感じさせる。この映画の主人公たる母親も息子を叱咤激励するときに、しきりに父親のことを引き合いに出す。それは、父親が無念の死を遂げたということを暗示しているかのようである。

当時の風俗もまた興味深く描かれている。女性たちは子どもも含めて皆和服姿である。和服を着ていても結構活動的であることが印象的だ。女性の和服姿は今ではあまり見られなくなったが、昭和二十年代の末頃までは、女性の服装の主流だったものだ。と云う筆者の母親も、筆者がまだ小さかった昭和三十年前後までは、日常にもっぱら和服を着ていたものだ。

この映画に出てくる人々は、男も女も常に笑顔を絶やさない。その笑顔と言うのは、むやみやたらに笑い顔を見せるというのではなく、コミュニケーションの方法として、意識的にコントロールされているように映る。他人同士が接触するときに、笑顔で緊張を和らげるのは無論、母親が成長した息子に向きあう場合でも、その笑顔が現れる。この時代頃までの日本人は、如何に笑顔を意識的に演出していたか、こんなところからも伺われるのである。

小津式の画面作りの特徴とされるものが、この映画で早くも現れている。低いカメラアングル、人物を横に並べて配置するのを好むこと、そしてショットが長く、全体に静的な画面作りになっていることなどである。

主演の飯田蝶子はこの時まだ四十前だったが、老女を自然に演じていた。この女優が後年老婆役で広く人気をとったことはよく知られていることである。また共演者の笠智衆は三十二歳であったのだが、これも既に老人臭い雰囲気を漂わせている。この人は、東京物語でも見られたように、あまり演技がうまいとは言えない。むしろ大根役者といってもよい。だがそこのところを独特の雰囲気でカバーしている。その雰囲気がこの映画の中で、三十二歳と言う若さにかかわらず、すでに表に出ている。そんなふうに感じた次第だ。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013
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